『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(24)

 大鳥が荒らした牧場の近くにはクリハラの家の麦畑があり、二年に一度、クリハラと父親は共にミステリーサークルを作っていた。ドローンなどが普及するよりも前の話で、上空から撮影した映像は、キックがラジコン飛行機にカメラを括り付けて行った。撮影テープはクリハラの家の地下に保管してあるはずだ。

 撮影したテープのうち何本かは湿気にやられて黴が生えてしまった。地元は湿気が少なく地下室で保管しても大きな影響はなかったが、クリハラが関東の湿度を失念してしまったせいだ。私も数本のテープを駄目にしてしまい、以来、我々にとって湿気は鈴蛆のようなアカウントと同等に憎むべき存在となった。

 関東に住んで最初に観た映画は、ピーウィー・ハーマンが学校から元気に飛び出し、調子はずれの「夏色」を歌いながら自転車で走っていくと車にはね飛ばされるもすぐに時間が逆戻りし、またはね飛ばされるのを160回繰り返すというもので、変化するのは車の色だけだったが誰も途中で席を立たなかった。私はこの映画をお嬢と共に観たが、鑑賞後に近くの席にいたシネフィル気取りの無精髭の男が「若いうちのクローネンバーグは買ってでも借りてでも違法な手段を用いてでも観よ」と言った。しかし、この映画はクローネンバーグとはなんの関係もなく、「世界を股にかけた割に狭学だ」とお嬢が男の背に向け呟いた。