『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(28)

 公民館の駐車場まで来るとエイの気配もなくなり、鍵がかかっていないことも知っていた私は堂々と入口から中へ入った。祖母が民謡の練習に使っていた大広間の壁には気になる隙間があり、ちょうど良いと思ったので、たまたま持参していたシャンプーを流し込むことにした。乾けば香りも良い部屋になる。

 畳にシャンプーをこぼさないよう気をつけていると、玄関前にシルバーの四駆が停まった。額の広いコムラガワ教諭が降りてきたので、慌ててトイレへ逃げ込んだ。トイレの窓は15センチほどしか開かない構造だったが、私には充分にすりぬけることができたので、脱出することはたやすいものだった。コムラガワ教諭が私の姿を見ていたかどうかは今もわからないが、隙間が乾いたシャンプーで埋められていたことは話題にすらならなかった。大広間はそれ以来、程よい香りが漂うようになったが、そもそも隙間を気にしていた者がいなかったのだ。私は利用者を軽蔑し、公民館の裏に虫を埋めるようになった。

 小学校3年の秋まで虫は埋め続け、そのほとんどはカメムシ型の小さなテントウムシだった。埋めた後で土の上から圧力をかけても、すぐに掘り返すと虫たちは生きていることが多かったが、結局はまた埋め直していた。翌日に掘り返しても死骸はなかったが、建物の壁は順調に血管が浮き出し始めていた。近くの畑で拾った黒曜石をとがらせ、壁の血管を裂いてみると、思った以上に黄色い液体がどろりと流れ出た。利用者の意識がぬるいので、建物も肥え太っているのだとイタダキ校長の話を聞いて判断した。黒曜石の欠片は血管の切れ目に押し込んでおいたが、巡り終えて傷口から流れ出るものはなかった。