『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(34)

 私は下北昇平と母校をめぐる一連の出来事をタソガレさんからの手紙によって知ったが、「ある程度の胸がすく思いというものは味わえたものの、歯磨きのし過ぎによる右肩の鈍痛が気になって見も心も健康体からは程遠いです」と返事を書く他なかった。見越したようにお嬢からは注射器の画像が送られてきた。札幌で合法試験薬の勧誘を受けたことはあっても、注射器の世話になったのは合法の病院だけで、回数は多くとも警察に知られてまずいようなことは何もないとお嬢に返信し、裏庭から禿山を登り、山上のいる方角に向かって「山塚アイが火炎瓶を投げてくれれば僕は生まれて来ずに済んだのにな!」と叫んだ。

 札幌のアパートで隣室だった自称・サービス業のお姉さんは、10歳までヴァージニア・ウルフを架空の人物だと思い込んでいたのが最大の恥だと語っていたが、小学1年のタミヤが四季の順番を「春秋夏冬」だと言い張ったのとは比べようもない。しかし、お姉さんにとって大きな恥であることは理解できた。それでも自分のメールアドレスに「ウェストヴァージニアウルフ」という文字列を組み込むあたりに、お嬢がお姉さんを慕う理由の一端が垣間見える。タミヤは幼児の頃から変わらず、自分の間違いは決して認めようとせず、「春秋夏冬」の際も床を激しく踏みつけて脅すようにまくしたてていた。すぐに誰もがタミヤに対しては意見も説明も無意味だと判断し、勝手に思い込ませたままにしておくようになったが、授業や大人たちの言動によって自分の誤りに気付くと、過去の振る舞いなどまるでなかったかのようにしれっとまた威張りはじめる図太さは、もはや不気味で恐ろしくもあった。