『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(42)

 タズネル氏を総括として行われた映画撮影の最中、目の据わった熊男に因縁をつけられたH氏が発作を起こして退場したがあった。私が別の現場から逃亡した翌日のことで、その頃はちょうど渋谷のタワーレコードで開かれたGUIROのインストアライブを観ていた。「あれかしの歌」の最中にH氏は血を吐いた。雉間とH氏に面識はなかったが、雉間の『詩人、後』はH氏に捧げられている。H氏が校舎の壁に尖った形の石で刻み込んだ「つくれないものはあるが、壊せないものはない」という言葉を私が写真に撮り、山上と共にソーダ水で清めてから表紙に貼り付けた。糊は必要なく、ソーダ水は経費に紛れ込ませた。

 雉間が4歳の頃、彼の祖父の布団に何気なく懐中電灯の光を当てると、オレンジ色の歪な円形光が、ちょうど祖父の身体でいえば胃の辺りを照らしていて、大人たちがたまに口にする「癌」というのは、きっとこんな形だろうと雉間は思った。祖父の死後、雉間は罪の意識から毎晩自分の心臓を照らしている。私もよく自分の左手を照らしたことがあったが、切り開いてみても、思いのほか綺麗な骨が現れるばかりで、腫瘍らしきものは見当たらなかった。無傷の利き手で縫い合わせることもできたため、年長の女子児童たちに不器用呼ばわりされるいわれはないはずだが、切り開きを告白することもできなかった。

Album

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  • アーティスト:GUIRO
  • 8
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