『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(45)

 手袋はやけに映画に詳しく、仲間の手袋たちと共に、様々な映画の名シーンを再現してみせた。ただし、最後の演目は『北北西に進路を取れ』なのか『北北西に進路を取れ』のモノマネをする『アリゾナ・ドリーム』のヴィンセント・ギャロなのか、いかんせん手袋による芸なので判断がつかなかった。右斜め向かいでは髪の毛の生えた西瓜が安売りされているが、買っていく者はおろか売っている者の姿も見えない。盗まれても問題がないのか、盗まれる心配がないのか、とりあえず勝手に動き出すことはないようだ。邪険にされた西瓜たちの逆襲は1969年以降、どこの国でも確認されたことはないらしい。

 スティーヴ・ライヒの音楽に彩られた1960年代のとある実験映画が、西瓜たちの逆襲を捉えたドキュメンタリー映画であることを知ったのは、出身地最大の都市で燻っていた頃で、芽の出ない前衛音楽家ライヒ本人から聞いた話だとして語っていた。ただし、彼がライヒと会ったというのは虚言であった。虚言癖の前衛音楽家の知り合いは、自称と付記せざるを得ない芸術家ばかりで、彼らが不定期に発行する同人誌も気取った内容とは裏腹に、公共機関の報告書のような安っぽさの目立つ装丁で、一度断り切れずに書かされた適当な私の文章が顔も知らぬ編集責任者の酷評で退けられたのはかえって幸いだった。