『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(46)

 前衛音楽家が占い師の女と共に住む湿度の高い集合住宅から西に進んだ川辺の人形屋には、私が中学の卒業文集に好みのタイプとして記した球体関節人形に生き写しのドールがいて、金銭で取引することも憚られたので、毎日のように別の商品を購入しつつ、彼女の無事を確認するのが日課となっていた。自分が北村昌士のような姿であれば、連れ帰る自信もできたことだろうが、残念ながら雉間ほどではないものの、出血に耐えながら髭を剃らなければならぬ身体だった。店の主人のほうが、はるかにふさわしい姿をしていたので、そもそも彼女が売り物ではないと知った時は珍しく感涙してしまった。

 地元で最も人形屋に近い雰囲気の店は、おそらく郵便局員たちが駐車場として使っていた川辺の先の古本屋だが、1階部分は半分ほど地下室のような造りであったため、悪い意味での陰気さが隠せなかった。近くには地元で2番目の高校があったものの、学生らしき姿をこの店で見かけることはなかった。地元とは言っても、それは家から最寄の「街」であるというだけで、ある程度の商業施設が存在すること以外に取り得などなく、治安も良いとはいえない。地元新聞の紙面もスポーツに割かれる面ばかりが多く、リトマス試験紙共闘隊でなくとも市民球場を自作の銃器で襲撃したくもなるだろう。