『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(49)

「肝臓に溜まったガソリンが朝まで燃えた 残飯に混ぜて犬に喰わせたあいつの目ん玉 どうやら今日は厄日のようだ どうやらこれは殺しのようだ」

 札束だけでなく、自らの身体まで燃やしてしまった担任への追悼なのか、1年G組の教室には、誰かが黒板に赤いチョークで書き殴った詩が残されていた。詩ではなく絵だったが、赤いチョークによる書き残しは中学卒業間際のB組教室にも現れ、それは清潔感の欠如ゆえに嫌われていた男子生徒を揶揄するものだった。しかし、教員が問題にすることはなく、誰かが大事になる前に消したのだろうと考えたが、担任の蒸発も含めて、真相は今もわかっていない。

 入学した当初の教頭が複数の罪によって秘かに埋葬されたことは色白の体育教師の話から察することができ、そのおかげで私は部活動から抜け出すことができたのだが、担任は教頭の方針には反対していたはずなので、2年も経ってから姿を消す理由とは結びつかないだろうとチャボやクリハラも考えていた。キックは立入禁止の屋上に忍び込み、教頭が運動部だけを存続させていた理由は見つけ出したものの、やはりそれも担任の蒸発との関連性を疑えるものではなかった。教頭の埋まった記念樹には、キックの弟が毎日少しずつのこぎりを入れ、彼が卒業する前日に倒木し、大きな枝が教頭の胸部を貫いた。