『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(51)

 小鬼に怯える生活は6年ほど続き、注意力も損なわれ、最寄のスーパーが不衛生な原因がそのような環境によるものだと気づくのすら遅れた。傷んだバナナや惣菜も返品する気力を失い、真夜中に土のある場所を求め彷徨い、秘かに埋めることしかできなかった。そして、南瓜はさらに香草に圧力をかけていた。その頃、地元ではタケチ兄ちゃんが違法な薬草に手を出して3度目の法的反省期間に入っていたが、キョウスケ君の弟から意識を奪った者や9年かけて同級生を何人も窒息させた連中は無神経さゆえに順調に仕事をこなしており、大きな保健室に並ぶ大量のベッドが傷んだ野菜で埋まっていくのを幻視した。それはヘンリー・ワイアットのファンであった留学先の青年の家で観たビデオアートにそっくりな光景だと気づくのにも数カ月を要し、自分の身体がより憎らしく思えて、風呂場で今まで以上に皮膚を削り落としはじめることのきっかけでもあった。老化以外の理由で身体が縮んでゆく感覚にも苛まれた。

 顔を見かけることもなくなった同級生たちのように、大半の過去を思い出せなくなっていれば、ここまで皮膚を削り落とすこともなかっただろうと悔しく思うも、すぐに4歳の頃、一度だけ親に連れて行ってもらった食品売り場に隣接したアイスクリームショップを思い出してうずくまることになる。隙をついて蘇ってくる記憶には、強めに頭を振って抵抗する他ないが、そのたびに寿命と必要な知識を失っている気がしてならない。かと言って、記憶に無抵抗でいれば、二日ともたないであろうことは明白で、せめてもの腹いせに思いつく限りの憎い相手の名を叫びながらパセリ畑を荒地に変えていた。