『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(56)

 ナイトウセイイチ氏は同郷の映画作家・オルガバタ氏の監督作『人型幕の内弁当殺人未遂』を酷評しており、専門学校近くの居酒屋で酔うたびに「ロケハンは良いが、脚本が駄目だ」と繰り返した。K氏はその姿を見て「アルコールリピート」と呟き、喫煙所と化していた非常階段の下で写真に写る顔を焼き消した。私は非喫煙者だったが、K氏らが集まる非常階段の下に混じり、焼き消す顔たちの選定に協力した。髪を長くしていたため、煙の臭いが染みつくのは不快だったが、愛用の入浴剤を使った湯に朝晩じっくり浸かることで対処した。しかし、血塗れになるまで身体を洗っても、1時間も経てば不安で仕方なかった。おかげで腕も脚も傷だらけで、アガサ監督からは「それを撮って編集すれば立派な作品だ」と言われたが、自分の身体は否定的な意味においても蠱惑的と呼べるものはないと思い、結局は石灰で腐臭を消す作業を続けながら、彼らとは距離を置くようになった。幸い、惜しむ声は噂ですら耳にしたことがない。

「パパの引き出しにしまったままの黙示録、開示されて大慌て」

 7歳の自分が眠気と闘っている時に夢想の中で響いた声を、玩具売場の広いデパートで誰かの子供が発している。見たこともなかったが、おそらく同期のシムイ君とナカダルマさんの子供だと察し、階段を使って必死に1階まで駆け下りた。 デパートの出口にはタコ焼きとお好み焼きの屋台があり、容器こそ3歳の頃に母や伯母が買ってくれた時と同じものだったが、いつの間にか当たり前のようにマヨネーズがかけられているようになっていた。それを喜ぶ2014年の子供を見て、余計に腕の傷が広がったため、消火器裏の包帯も拝借せざるを得ない。消火器は長年手入れもされずに放置されていることが多く、その裏に常備された包帯も衛生状態が良くないものがほとんどだが、幸いにも傷を悪化させそうな代物ではなかった。元のガーゼの上からきつめに縛り付けて血の拡がりを防ぎ、腕が壊死してミイラ化するのを想像しながらタクシーの空車を祈った。