『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(67)

 上映されたドキュメンタリー作品には、キネマユリイカ駅近くの厚い顔の店で生計をたてていた同期生も参加しており、在学中から顕著だった思い込みの激しさに拍車がかかっているようだった。論理性のなさを詩的と勘違いした文章は、駅周辺のみに置かれるフリーペーパーにすら掲載を断られたという。講師は従順な学生に対しては手当たり次第に将来性を匂わせ、そのうちの数人の小さな活躍を自身の才覚の後ろ盾にして安い居酒屋の空気を汚していた。しかし、元々が淀みきった居酒屋でしかないため、後ろの席のサラリーマンが酒をこぼさずとも、私ですら店側に同情しようとは思えなかった。

 数軒の飲食店は学生の出入を禁じていたらしいが、そもそも外食を好まない私にはあまり関係のないことだった。一度だけ駅二階のチェーン店へ連れて行かれたが、何度も店員に「あの時計は正しいのですか?」と店の掛け時計を指して尋ねる男性客が近くにいたため、入院時代を思い出して胸が苦しくなった。ナイトウセイイチ氏は「医者の娘にろくな人間はいない」と言い、さすがに私も偏見でしかないだろうと思ったのだが、その後、初めて知り合った医者の娘がろくな人間でなかったため、驚くほど簡単に偏見の沼へと一歩踏み込んでしまい、きっかけとなったナイトウ氏と通話相手の痕跡を可能な限り削除した。催促された地元の銘菓を手切れ金代りに送ったものの、約束の時間を連絡もなしに潰された際の反省から対人関係が全般的に捻じ曲がり、親しくしてくれた後輩の漫画家とも疎遠になってしまったのは無念である。しかし、私などと関わり続けるほうが相手の不幸だと考え、なんとか気持ちの整理をつけた。