『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(68)

 医者の娘が趣味で作ったプレートを金槌で砕き、不燃ごみに変えて正しく処理した日、豚とモロヘイヤの掛け合わせに成功した地元高校の敷地内で毛色の変わったムササビの親子が無人電動車椅子に轢き殺されたという小さな新聞記事をみつけた。喫茶店の看板犬の死を悼む記事の半分以下の大きさである。自他共に認める犬型の数字の若者にいたっては、卒業した専門学校の学生たちでもないのに、瞳の生い茂った集まりから出入り禁止を言い渡され、それでもなお今日に至るまで、あわよくばと主催者に平静を装った便りを定期的に送り続けているらしいことを投書欄の片隅から読み取ることができた。

 集いの場となっていた空地には、雑草に混じって点々と眼球が散らばっており、それらは待ちぼうけをくらったせいで寝不足となった私の充血した眼球によく似た姿をしていた。連中が気にもとめずに踏み潰していたのかと思うと、更なる不幸を願わずにはおれず、目の端に捉えたパセリ畑へ走り出していた。かつては祖母もパセリを栽培していたが、丁寧に育てられていたため、味は良いものの、私が期待した効果は得られなかった。踏み潰された眼球たちを栄養とした眼の端の先のパセリたちならば、ひょっとすれば期待以上の効果が得られるかもしれない。私にも一度くらい期待以上があっても良いだろう。