『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(70)

 しかし、ある意味では猫肉買取店があった方が良かったとも言えるだろう。ヤスヒロは2歳の春まで住んでいた家で撮られた唯一の写真を見るたびに、喉の奥が詰まる思いに苛まれているからだ。夜中、まだ眠そうな母親を起こして、件の手押し車の玩具を押して遊ぶヤスヒロの姿を捉えた写真である。「幼い子供が我儘なのは、“いつか”も“また今度”も決して有り得ないことを知っているからだ」と敬愛する作家が講演会で述べていたが、たしかに幼い頃のチャボに母親が「また今度ね」と約束したフルーツパフェの店はもう存在せず、仮に店があっても母親との外出を無邪気に楽しめる時期は過ぎていた。オヴァリベリーとも呼ばれた街は、必要以上の理容室とラーメン店ばかりが増え、パフェの店があった場所も、寿命を縮めそうなほど脂ぎったスープを強要するラーメン屋になっていた。理容室の増加は、人生の全てをサッカーで説明しようとする高校教師が、生徒の髪を短くするのに好都合なだけだった。

 その教師・オモイヅカも眼球を強引に鍵穴に見立ててやってからは影響力も失い、私は周りを恐れることなく母親とも買物に出かけられた頃から通い続ける知り合いの美容室で、年に二回だけ髪を整えてもらえば済むようになっていた。髪の短さが限度を超すと、全員が私を見下していた教室を思い出してしまう。マサ君でさえ、あの担任に前髪を切られた時は、無神経なままで居られなくなったのだ。小学生時代の短さに揃えてしまえば、連中がサトウキビの入った私のランドセルを回転させながら蹴り続けていたことを常に脳裏に映写し続けねばならなくなるだろう。担任の娘の太い首を裂き切らずにいる自信もない。