『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(72)

 人間よりも食物を重視した設計なのか、身体を押し込めた地下収納では、外部の音がほとんど聞こえず、竜巻はおろか家がどんな状態にあるかさえ把握できなかった。Steve Reichの「DIFFERENT TRAINS:America‐before the war」ならば脳内で正しく再生できるので、3度繰り返してから様子を探ることにした。自分の呼吸音だけが雑音となり得る場所は、居心地の良さゆえに生きていることを実感し過ぎ、いずれ必ず訪れる死の恐怖に意識が収斂し、気が狂いそうになるあの感覚へと陥り易くもあるのだが、目を瞑ることで少しは恐怖を軽減できる。そこで生じる誤差を考慮すれば、30分程の時間は計測できるだろう。小学4年から日常生活においても目を凝らす必要性が生じていたが、聴力のほうは病によって一時的に低音を感知しづらくなった時でさえ、些細な物音に神経を刺激されるほど敏感で、声の大きな者の噛み合わない会話ほど吐き気を催すものはなく、我が家の地下収納の優秀さは早く知っておくべきだった。

 30分の時間が経過した地上は、地下収納ほどではないものの、庭で幼児の空想ができた頃を思い出す程には静かだった。我が家は木の葉や枝が沢山引っかかってはいたが、大きな破損もなく、電気が戻る頃には暮らしを取り戻せるだろう。バス停傍の電柱には、Tのものと思われる腹部だけが張り付いている。Tは中学に入った途端、性欲を持て余すタイプの男子になっていたが、あの様子ではジーニアの少年のように、宙に舞った少女のスカートを覗く余裕もなかったことだろう。人生を終える直前だけは、罪を犯さずに済んだわけであり、せめてもの労いとして清潔なタオルで身体を覆っておいてやることにした。