「0○さん、たぶん私はあなたが嫌いだ」

 私はたぶん“あなた”が嫌いです。 

 “あなた”が私の暮らしにずかずかと入り込んで来てからというもの、私的なことまで含めると数えきれないほど、いや、数えるのが嫌になるほどの頻度で“あなた”を見聞きしなくてもすむ世界へ逃げ出したくなる衝動に見舞われています。

 それもこれも“あなた”があの手この手で私を苛立たせ傷つけ、しまいには命まで狙ってくるからです。俗物にも劣る最低の汚物のようなものまで繰り返し見せつけてきて、いったい何がしたいのでしょう。せめて、一思いにやってくれるのであればまだしも、こちらに許された逃走手段さえも長い苦痛を伴うものばかりで、“あなた”という存在の厭らしさは際立つばかりです。

 “あなた”の名付け親たちも、さすがにこのようなことを望んでいたとは思えません。この僅かな期間に、負の面ばかりを目立たせ過ぎに感じます。当然、聞く耳など文字通り持っていないのでしょうけれど。

 似て非なる三十年ほど前、「お元気ですか」という問いを撤回せざるを得なくなったことがありましたが、“あなた”の名前が広げられた時には、「お元気ですか」という問いを撤回する必要などなかったはずです。なのに、なぜ元気であろうはずのない者たちが大勢生まれてしまっているのでしょうか。

 私はたぶん“あなた”が嫌いです。