僕らは殺されることのできる年齢

 酒も煙草も嗜まない私は、スーパーやコンビニにおける年齢確認というものをしたことがない。もちろん、様々な場面で身分を証明するものを提示することはあるのだが、レジ横の画面等に現れる「20歳以上」といった文字に指を当てた経験がない。たぶん、何かの拍子にそんな場面に出くわしたら、少々戸惑ってしまうだろう。スムーズに会計を行っている時ですら、後ろに別の客が控えていると、されてもいない舌打ちを幻聴するほど他人に怯えているのだから、不慣れな年齢確認に戸惑いでもしたら、刺されてもいないのに謎の刺し傷が背中から心臓を貫いてオカルト的な死を迎えてしまうかもしれない。

 存在しない刃物で心臓を貫かれた死体など、捜査が難航するのは明白だ。難航どころか、迷宮入りして当然である。事件そのものが闇に葬られたとしても、当の故人は原因も分かっているため、この点において警察を批判することはできない。むしろ、申し訳なさでいっぱいである。

 しかし、いくら闇に葬ろうとも、どこから話が漏れるかわからないので、ひょっとすれば姿の見えないプレデター的殺人鬼の実在や、人体自然発火ならぬ人体自然損傷死といった避けようのない恐ろしい何かの噂が都市伝説的に広まって、多くの人々を不安に陥れるかもしれない。不安が頂点に達し、同じように人体自然損傷死する者が現れないとも限らない。その場合、おそらく責任は私にある。しかし、故人なのでどうすることもできない。

 「責任の取りようもないが明確に責任は自分にある」などという状況は、いかに責任感のない者でも多少の精神的苦痛を味わうはずだ。私は多少の責任感は持っているので、なおさら苦痛であろう。その苦痛はきっと、人体自然損傷死を引き起こしかねないほどのものだ。既に故人だから、心配はないけれど。

 やはり、無用な年齢確認の手続きに巻き込まれることのないよう、今後も酒や煙草とは無縁の生活を送ろうと思う。まだ、故人ではないだけに。