分かりたがり屋たちの死体

 写真に写る機会がめっきりなくなった私は、何かしらの大きな事件/事故に被害者として巻き込まれたり、あるいは加害者として事件/事故を巻き起こしてしまった場合、報道の際に使われる顔写真は、おそらく直近の証明写真か中学か高校の卒業アルバムのものになるのだろう。どちらも、おおよそ幸せに生きている人間の表情には見えないので、被害者であろうと加害者であろうと、報道する側が描きやすい物語に適した写真とは言えるかもしれない。

 しかし、何をどのように伝えるにしても、選択できる素材が多い方が伝える側としては楽だろう。その点で、誰に頼まれたわけでもなく、SNS等に自身の姿の映った画像を大量に投稿しているような方々は、邪な考えを持ったタイプの「伝える者」たちにとって格好の餌を撒いているようなものだろう。もちろん、それらが素材として使用される場合、自分は自由を奪われているか命を奪われているかなので、そのような状態に置かれないことが一番なのだが、分かりたがり屋たちを喜ばせたくないのなら、読み解きやすい表情はなるべく見せない方が良いと思う。

 私の残した写真も読み解きやすくはあるだろうが、おおむね「暗い」「孤独」「闇」といった方向性の物語としてしか利用されないだろう。あることないこと書きたてられるにしても、「調子に乗ったバカ」といった形で蔑まれるのは我慢ならないので、今後もなるべく世間に負けたような風情で生活しておこう。実際、負けている気しかしないので、演技力など必要もないのである。