「この先の辛い思いをしなくて済むように」とアシュカ・ネルソンに似た者が言った

 子供の声がうるさいからという理由で公園が使用禁止になるような世の中を肯定する気は全くないが、しかし、私自身も子供の声は苦手である。うつ病の症状が現れはじめてからは、子供の声に限らず、大声・奇声・甲高い声などが神経に突き刺さるような感覚が強くなってしまったが、おそらく子供の声が苦手なのはそれ以前からである。いや、子供の声というより、小さな子供自体が苦手なのだ。

 程度や表明の仕方に差はあれど、こういった「子供が苦手」な者に対して「自分もかつては子供だったじゃないか」という批判をよく目にする。しかし、私が子供が苦手なのは、自分がかつて子供だった頃を思い出させられるからだ。ゆえに、このような批判は、むしろ無神経な言葉に思えてしまう。

 この言葉が批判に適していると考える人たちは、自分がかつて子供だったことを理解していながら、その頃の恥ずべき記憶や悔やんでも悔やみきれない記憶、悲しい記憶、大半を無邪気に楽しく過ごしていたのだとしても、それがもう戻ってはこないという絶望感を少しも感じたりはしないのだろうか。私は駄々をこねて親を困らせている子供を見ても、家族と共に楽しそうにはしゃいでいる子供を見ても、上記したような記憶があれこれと蘇ってきて、目も耳も塞いで蹲りたくなってしまう。

 時折考えるのは、私にこんな思いをさせたあの子供たちのうち、いったい何人が私と同じような性分に悩まされることになるのだろうということだ。決して、多くはないのだろう。そうでなければ、子供を苦手とする者に対して、先述した批判を多く目にすることもないはずだ。

 七尾旅人の「おやすみタイニーズ」という曲がある。子供を優しく寝かしつける歌に聞こえるが、収録アルバムに記された「配役表」には「殺人鬼アシュカ・ネルソンと子供達」となっており、途端にまどろみを表しているように思っていたどこかメランコリックな曲調が恐ろしげに響いてくる(ランディ・ニューマンの「セイル・アウェイ」と似た着想という評もある)。この曲を聴いて私は、人生の苦しみを感じさせてしまう前に、ぐっすり眠る子供をそのまま安楽死させる殺人鬼(もしくは「怪人」)の物語を書こうとしたことがあるが、力量不足で完成には至らなかった。だが、仮に書き上げることができていたとしても、共感を得ることは難しかったかもしれない。

セイル・アウェイ

セイル・アウェイ

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ひきがたり・ものがたりVol.1 蜂雀