騒々しい同級生たちが大量に蠢く不衛生な教室の空気に食品を晒すこと自体抵抗があり、高校に入ってからは一度も昼食を摂らなかった私は、もし現在学生生活を送っていたとしても、黙食の終了を「落ち着いて食事できる環境の終焉」としか捉えられなかったことだろう。
義務教育を終えてしまえば、どうにか一人の時間としての昼食を選択することはできるが、それまではおぞましさに耐えるか空腹に耐えるかを選択せねばならない。嫌いなものを食べたくないどころか、好きなものすら食べたくならない。
コロナが収束しようがしまいが、私は食事姿を他人の目にさらすこと自体避けたいのである。風呂やトイレと同等に個人で行うものであってほしいと願っている。いや、せめてその自由が尊重される世の中であってほしいと願っている。