Hey, Mr. “Tamori ”Man

 『タモリ倶楽部』が3月いっぱいで終了という報せに、なにか住み慣れた家を焼失したかのような途方もない喪失感に苛まれている。もちろん、いつか終わりがくることは仕方のないことだが、この番組に関しては、まだ心の準備などできていなかった。

 テレビ朝日は「番組としての役割は十分に果たした」とし、「サブカルチャーのような嗜好性の高い情報は、専門サイトやYouTubeSNSなどで得ていくのが普通になり」(木村隆志『「タモリ倶楽部」終了、とてつもない寂しさの正体』より)といった指摘も見受けられるが、不特定のマニアックな題材がランダムにクセの強い切り口と演出で紹介される『タモリ倶楽部』の代替品には成り得ないように思う。「狭く深く」の探求が専門サイト等の充実によって比較的容易となったことは確かだろうし、歓迎すべきことでもあるのだが、「広く(時には横道のような角度から)深く」探究する愉しさの入口として、『タモリ倶楽部』はこれ以上ないほどの存在だったのではないか。その点で、「役割は十分に果たした」というテレビ朝日の主張には、あまり同意はできない。

 他でも考察されていることだが、現時点ではNHKで『ブラタモリ』が好評放送中であるし、タモリさんの健康面の理由から番組が終了するのではという指摘はほぼ存在しない。もちろん、タモリさんにはずっと元気でいてほしいし、仮に今後番組の収録が大きな負担になるようになってしまったなら、無理などしないでほしい。しかし、『タモリ倶楽部』の存在意義を上記のような点もふまえて考えれば、MCの交代が『ミュージックステーション』などよりも困難であることは重々承知のうえ、それでも演出センスも含めた番組の精神を継承することを考えてほしかった。タモリさんが偉大過ぎて、どうしても比較する声は尽きないだろうが、あの世界観が丸ごと消えてしまうのは、あまりに寂しすぎるのだ。