イカロスを偲んで

 1985年、大鳴門橋の開通祝賀式で曲技飛行中のセスナ機が墜落した。事故の瞬間は映像で記録されており、衝撃映像特番等でも何度か放送されているのだが、観客らしき人物の「落ちたー」という声が妙に切迫感の欠けるものだったのが印象に残る。

 事件・事故・災害といった、いわゆる衝撃映像/決定的瞬間は、比較的海外のものの方が緊迫感がある。敢えて不謹慎な言い方をすれば「迫力がある」(実際、かつて某テレビ雑誌に「海外ものの迫力は凄い」というコメントが記されていたこ)。日本における衝撃映像の現場に居合わせた者たちは、冷静と言うよりは少々呑気なきらいがあり、どうにも危機意識が低すぎるように思えてならなかった。

 しかし、セスナ機ほどの大きさの飛行機が自分とはそれなりの距離のある状態で、しかも水中に墜落する瞬間というのは、たしかに状況を理解し辛いのかもしれない。大型旅客機よりも自分自身が乗り込む機会というのは少ないだろうし、距離があれば目に映る情景もラジコン飛行機と大差なくなってしまう。水中への墜落であれば、炎などもあがりづらく、自分の身に危険が迫っているとは思えないし、ひょっとすれば乗務員が最悪の事態に見舞われていることすら想像し難いかもしれない。おそらく、自動車事故のほうが周囲の人間も恐怖心や危機感を抱き易かっただろう。

 小型機や中型機が近隣を飛行するのは、飛行場の傍でもなければ、そう頻繁にあることでもない。自衛隊等のヘリコプターのほうが身近かもしれない。その分、小型機や中型機の事故というのは、地上の人間が逃げ遅れたり、目撃した者による通報や救助も遅れがちになりそうだ。しかし、これが2022年度後期朝ドラ『舞いあがれ!』を見終えて考えたことだというのも、なんだか忍びない気はする。