凡庸な前世の非凡な他人

 仮に前世というものがあったとして、しかし、現世の記憶の中に現れた前世と思われる記憶というのは、はたして本当に自分の前世なのか。前世の記憶ではあるものの、脳内に思い出として広がる光景は、ひょっとしたら前世の自分が実際に体験した出来事ではなく、前世の自分が話として見聞きしただけの光景だったりはしないだろうか。本を読んでいて、感銘を受けたがゆえに、実際の光景のように脳内で再生されるような場面。あるいは、前世の自分が見た映画やテレビの可能性だってある。ひょっとして、私の脳内にも薄らぼんやり収納されている、本当に見たのかどうかわからないテレビ番組の断片的映像は、私の凡庸な前世がテレビで見た光景なのではないか。

 いずれにせよ、悪魔の証明的な意味において「否定はできない」とするしかない超常的事象をこれみよがしに語りたがる者の話には、いろいろと粗が多いもので、百歩譲って前世や輪廻転生を肯定するとしても、上記したようなケースをどう見分けるのか、そもそも見分けることは可能なのか、せめてそのくらいは説明してほしい。見分けが不可能なのであれば、“前世が見た他人や創作物の記憶”だけでなく、現世において他人の話や創作物、映像等で刷り込まれた記憶/景色と実際の体験を区別することも困難であり、自分に前世の記憶のようなものがあったとしても、それをすぐに前世の記憶だと信じ込める者のことはどうにも信用できないのである。