さよならぼくの(いたかもしれない)ともだち

 今年も近隣地域での熊の目撃情報が結構な頻度で伝えられる。自分も含め、親類・知人たちの中に被害に遭う者がいつ現れてもおかしくはない。

 もっとも、熊たちは昔からこの地に暮らしているため、遭遇する可能性はずっとあったわけだ。私が幼い頃から、防風林や伸びた草むらも多く目にするわけで、今日まで地元の知人が誰も犠牲になっていないのが不思議に思えたりもする。

 危険は熊に限らない。病気や怪我で草むらの中で倒れたままになっていれば、しばらく発見されない危険性も高く、怖いもの知らずなちびっ子だった者も少なからず存在した私と同世代の連中に、そういった不幸に見舞われた者が居なかったのは、悪運が強かっただけなのかもしれない。

 ひょっとすれば、不幸に見舞われると同時に、他の者の記憶から犠牲者の存在自体が消されてしまうような超常現象が起きていて、私と周りの人間の想い出から消失してしまった幻の級友が存在していたのかもしれないが、そんなオカルトストーリーは百万歩譲って起きていたのだとしても確認などできない。

 しかし、オカルトとは無関係に、単に忘れても構わないどうでもいい存在として、同世代の人間たちから居なかったことにされている危険性のある私としては、架空の「居たかもしれない級友」を自分だけは偲んでおこうなどと、少々病んだ感傷に浸ったりもしている。