不適切にも「その後」がある

 かつては職場で「鬼」と呼ばれていたという人物が、近年になって新人に対しても「さん」付けの対応をするようになってから効率が上がったと語る文章を読んだ。それは良かった。この件については変われないより変われた方が良いと思う。しかし、良かったのは本人と今後の新人だけである。「鬼」時代の対応によって傷ついた者、傷ついただけでなく職を辞した者、辞した後の人生が悲惨な者、そういった者たちに対して「元鬼」は何を思うのだろう。

 いや、そこまでの目に遭った者がいないのなら構わない。しかし、どうしてもいないとは思えない。元号が令和になってはや6年、徐々にではあるが、かつては理不尽でありながらも「そういうもの」として存在していた制度や価値観が是正され、全てではないものの、確かに暮らし易くなった面は多い。それは歓迎すべきことだ。しかし、この変化に間に合わず、苦しい思いをし続けた者はどうすれば良いのだろう。過去は過去として割り切れる程度ならば良いが、後遺症とでも呼ぶべき状態に苦しんでいるのだとすれば、誰がその責任をとってくれるのだろう。

 令和の基準を当たり前と思う世代の中には、かつての理不尽な世界の存在すら想像できず、これほど生き易い世界で落ちこぼれるなど余程の無能なのだと考えてしまう者もいるかもしれない。上からも下からも救いどころか虐げられることしかないのだとすれば、もう呼吸すらままならない。「元鬼」の自覚があるのなら、せめてかつての犠牲者に対する謝罪の気持ちが文章にもう少し感じられても良いと思う。