新生スーパーマン(『Man of Steel』/監督は『ウォッチメン』のザック・スナイダー、製作・原案は『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン)の予告編だが、鳥肌たったよ。クリストファー・ノーランが関わると、こうなるのか。
ストーリーもおそらく『ダークナイト』的な厚みが加わるのだろうけど、なによりこの予告編で驚いたのは、映像の感覚。これぞ、私が求めていた、タルコフスキーやデレク・ジャーマン的な映像美とスピルバーグ、ルーカス的な娯楽性の融合じゃないかと思う。
そして、ケビン・コスナー。スーパーマンの養親役として登場するらしいが、きっとクリント・イーストウッドの『パーフェクト・ワールド』に続いて、神懸った存在になる気がする。基本的に、私はケビン・コスナーは嫌いなのだが、それはコスナーがアメリカの嫌な意味での保守性の象徴のように感じられるからで、それがそのまま前面に押し出された監督・主演作『ダンス・ウィズ・ウルブズ』は、数多く観てきたアメリカ映画の中でも最低レベルのものだと思うのだけど、このイメージを製作側が逆手にとった『パーフェクト・ワールド』は、アメリカと映画を考えるうえで決して外せない傑作になった(あの映画が示すのは、端的に言えば「アメリカが完璧だったことはない」という事で、そんな内容を「パーフェクトなアメリカ」の象徴ともいえるケビン・コスナーが演じるところに、あの映画の凄さがあると思う)。実際、スナイダー監督は「ケビンは史上最も偉大なスーパーヒーローを育てたこの田舎のアメリカ人男性の静かな強さを伝えることができる」と語っているらしい。
大好きなリチャード・シフも出演するみたいだし、また「これを観るまで死ねない」という作品が出てきてしまった(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 』もはやく観たいのだが、私の地域ではいまだに公開されていない…。ネタバレをまったく気にしない私は、既に『Q』のウィキペディアは読むは、宇野常寛さんの評論は読むはで、ほぼ内容を把握してしまっている)。
しかし、「スーパーマンの呪い」がちょっと心配……。あと、予告詐欺という可能性もあるし……。
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呟き散らかしたことのまとめ。
「知識が幅広いと誰とでも話せるでしょ」と言う人がいるけど、あながちそうとは言えない。知識が幅広いということは、同時にすべての知識が並列になってるという事でもあって、特に趣味に関する話になると、相手の怒りを買いやすくもなる。
たとえば、球団や国籍に関係なく「野球」が大好きだという人が、巨人ファンや阪神ファンといった「球団」のファンと仲良く話せるかといったら、たぶんそうはならないのだ。「野球」好きな人は、すべての球団を並列してしまう可能性が高いから、「球団」のファンの怒りを買ってしまう。
野球以外でも、「音楽」の好きな人間と「洋楽ファン」「邦楽ファン」とか、「映画」の好きな人間と「大作映画ファン」「ミニシアター系の映画ファン」なんかでも同じような事が起こりやすい。一般的なコミュニケーションにおいては、知識の広さは案外宝の持ち腐れみたいなことになる。
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逆境が人を成長させるって言葉が嫌いだ。結果的にそうだった人はいるかもしれないけど、逆境がなかったらそいつは怠けてたってことかもしれない。恵まれていても努力する人の方が偉いわけで、だとしたら「逆境があったから自分は成長できた」って奴は恵まれてたらそれに甘んじるダメ人間ってだけかもしれない。
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散々、人の事を除け者にしたくせに、たった一回、それも別に除け者でなくて、伝達ミスのような形で加われなくなりそうになっただけで「怒っていいかな」なんて言うのは何なのだろう。
「家族同然」だか知らないけど、「家族」や「身内」は、何があっても守り続けるくせに「家族」以外は、すぐに切り捨てる。「家族」は理想的なものでなくても守るのに、「家族」以外には理想を押し付ける。そんな偽善と差別主義の塊のような奴だから、本当に除け者にされていた人に「いい経験」だとか、そんな無神経なことが言えるんじゃないか。
それが「いい経験」だというなら、あなたも一度除け者にされてみろよ。
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「現実では人見知り」ってことをよく聞く。
ネットでは人見知りじゃないが、現実では人見知り……とか。
タモリさんが言っていたが、人見知りじゃないと芸人には不向きなのだそうだ。
人見知りじゃないと、空気が読めないから。
つまり、ネットでは人見知りじゃない=ネットでは空気が読めない(読まない)ということにもなる。
そう考えると、色々納得できる事があるな。