共感できないことは悪いことじゃないはず

 一昨日あたりから、私の住む地域も爆弾低気圧とやらの影響か、大雪に強風、時には雷。昨日は母が忘年会のはずだったのだが、あまりの雪と風に断念(それでも中止ではなく、母が行かなかっただけで、忘年会自体は決行されていたらしい)。

 気分が天気に左右されやすい私は、若干沈んでいるが、それでも雨がじとじと降り続くよりはマシである。気分の沈みよりも、恐怖や心配の方が勝っている。


 柴那典さんのコラム「いつの間にロック少年は「洋楽」を聴かなくなったのか?」(http://www.drillspin.com/articles/view/526)に関して成馬零一さんが「足りないのは曲を聴く際の動機づけなのかな。洋楽って音楽ファンしか相手にしてない感じがどうしてもしてしまう」と呟いていて、私も同感なのだけど、もうひとつメジャーな音楽をコアな音楽ファンに偏見なく聞いてもらうための言葉ってのも不足してるよなあと思う。

 たとえば、私はコブクロとかファンキーモンキーベイビーズってまったく好きじゃないのだけど、別に聴くと虫唾が走るというわけではない。

 そんな私は「こういう聴き方をすれば、もっと楽しめるかもよ」というアドバイスをしてほしいのだけど、メジャーなポップ音楽というのは、そういった小難しいことを考えずに楽しめる(共感できる)から人気なわけで、それを普通に楽しんでいる人にとっては、楽しめない人にどう伝えれば良いのかなんてわからないだろう。

 こと「共感系」のものって、共感できなければおしまいな場合が多くて、大多数が共感できるものからあぶれてしまうと、今度はいじけて余計に殻に閉じたものに走ってしまって、彼らが好むものも更に閉じたものになって……という悪循環は避けられないように思う。

 気持ちの問題だ、なんて言う人もいるだろうけど、その「気持ち」ってやつが一番厄介なわけで、せめてきっかけになることくらい考えてみようという話。

いま、音楽批評は何を語るべきか

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