2023-01-01から1年間の記事一覧

SOME DAY,THAT PLACE IN TIME(さよなら、2023)

みうらじゅん先生の「みうらじゅん賞」に倣って、私を楽しませてくれた人・ものなどを勝手に称える「みづきうりゅう賞」。令和に入り本家「みうらじゅん賞」は“権威・濃すぎ”になった(?)授賞式を改め、原点回帰的な発表になっておりましたが、こちらは権…

どうしたって、それ自体を楽しみにしていた時間は取り戻せない

崩れた状態で届く事態が相次いだという高島屋のクリスマスケーキ騒動は、気遣うことを知らぬ幼子(この言い回しは、くっきー!の替え歌より引用)たちと、そんな年頃の子供を持った親たちの沈痛さを想像してしまい、こちらの気分まで深く沈んでしまう。世間…

サンタも神社にやってくる?

クリスマスに浮かれる日本人を懲らしめるため、ナマハゲが怪獣を操って襲撃してくるという話が『ウルトラマンA』で放送されたことは、以前にもブログに書いた。 uryuu1969.hatenablog.com 「スノーギラン」という英語名の怪獣(正確には超獣)を引き連れてき…

私だって私みたいな奴にうっかり助言してしまったらと思うと怖くて仕方ない

リツイート、現在は「リポスト」になってしまったが、呼称はどうあれ、これがやたらと多いアカウントというのは、大抵同意できるリポストが少なく、もちろんリポスト自体の数が多いのだから同意できないものも多くて当然ではあるのだけれど、比率としてあま…

覗いてご覧、傷口を

年末大規模清掃による両手の裂傷を治癒する為、可能な限り手を使わずに過ごすという過剰とも思える労わり方で静養中。 死神のいる街角 作者:中井 紀夫 アドレナライズ Amazon

汚れなき、ひたすら

普段の掃除が行き届いているのか、年末の大掃除の際に「ああ、一年経つと汚れも溜まるなあ」という感覚があまりない。壁や天井をしっかり拭き掃除するのは大掃除の時だけなのに、なんだか年々バケツの水が濁らなくなっている気がする。 良いことではあるのだ…

時よ止まれ、君が憎らしい

私が抱え続けている悩みは、私自身が消えてしまえば同時に消失する。しかし、それは解決したとは言わないはずで、ゆえに「時が全てを解決する」と本気で考えている者は、それを解決だと考えているということになる。時が解決した悩みや問題は確かに多くある…

短くて恐ろしい不要な記載

たぶん、結構な数の者がなんとなく不信感を持ちつつも、油断すれば自ら使ってしまいがちな言葉の代表例が「個人の意見(見解)」というものだろう。 そもそも「個人ではない意見」とは何か。団体や企業全体としての発言、あるいは何かを代表した意見であるこ…

私に優しくない世界

年齢を重ねると筋肉痛が遅れてやってくるというが、私はどういうわけか眠気が遅れてやってくるようになった。もっとも年齢のせいなのか、はたまた何かしらの病気なのかは分からない。 おまけに急激に寒くなったかと思えば、不意打ちのように暖かくなってみた…

スマホも落とす時代なのに

固定電話すら置かない家庭も増えてきているなか、FAXなどさらに存在感を薄めている。若い世代では存在感が薄いどころか、そもそも存在を知らない人も多く、実際、テレビ東京の人気番組『モヤモヤさまぁ~ず2』(北海道では放送されなくなってしまって非常に…

18782+18782=37564

嫌な奴に不幸があった時、自分の憎悪の効果(呪い的なもの)だと考えるのか、現実的な必然による自業自得の事態または社会的制裁のようなものだと考えるのか、いずれにせよ前者は自分に特別な力があると考え、後者は自分の目に狂いがないと考え、結局は根拠…

「写ルンです」ほどの認知度があったなら

パソコンであれスマホであれ、ワープロ機能をはじめとする文章入力というものは、どこの言語であっても基本的に「正しい文法」が反映され易くなっているはずで、例えば「単車」と書いて「マシン」と読むような当て字の類は、自分であらかじめ設定しなければ…

「話せばわかる」は生きた人間相手ですらなかなか難しい

都市伝説や実話怪談といったものは、どれだけ荒唐無稽であろうと、もっと言えば実は虚構であったにせよ、「事実である/事実であるらしい」という点に大きな意味があるのだと思う。ゆえに「事実である(らしい)」という前提を壊しかねない要素は避けられる…

なんとなく「良い風」に思ってもらえるだろうと考えていそうなからっぽのなにか

紅白歌合戦の出場歌手が発表されると「待ってました」とばかりに不満の声が次々と上がってくる様子は、恒例行事とさえ感じられるようになって久しく、自分も不満があったとしても「ああはなりたくない」という気持ちの方が勝ってしまうほどに見飽きた光景と…

そのうちバラバラに崩れるのかもしれない

長年、この時期になると手のひび割れに悩まされているが、今年は例年よりも症状が酷いように思う。キーボードを叩いているそばから傷が拡がって流血してくる。流れ落ちた血が固まって操作できなくなるかもしれないので、ユースキンをこれでもかと厚塗りして…

結果を憂う原因たち

北海道は自動車の運転マナーが悪いとよく言われ、実際死亡事故も多い。車嫌いの私は、可能な限り他の移動手段に頼るし、どうしても自動車移動が不可欠な場合もタクシーやバスといった公共交通を利用する。何度かブログにも記している通り、世間の見えない圧…

われにここをキャンプ地とする用意あり

犯人が逮捕されただけでは事件解決とはいえないということは、あまり力の入っていなさそうな刑事ドラマの中でさえ描かれてきたことなので、平和に暮らし続けてきた庶民でも大半は理解していると思っていた。だが、実際に自分が巻き込まれると冷静ではいられ…

七誤算

私には七五三の写真がない。育児放棄されていたわけではなく、私自身が三歳の時点で泣いて嫌がったからである。物心つく前から、なぜか本能的に着飾られることを拒否する性質があり、多少の懸念はあったものの「記念だから」と連れていかれた写真屋で想像以…

ハロウィンを知る前、アンパンマンを素直に楽しめた頃

「ハロウィン」と呼ばれる祭りが存在しているということは、クリスマスや七夕と同様に物心ついた時には既に知っていた。だが、その由来とされる説のひとつが「天国と地獄の間をさまよう魂の救済」だと知ったのは、3歳か4歳頃に『それいけ!アンパンマン』の…

吾輩は猫の毛である

猫の毛というものは、身体にも衣類にも付着し易い。もっと付着し易い毛を持つ生き物も存在するのかもしれないが、ペットとして人間と共に暮らす数の多さを考えれば、人間に最も付着していることの多い他の生物の毛は猫であろう。統計学的に信頼できる調査を…

隣の報せは厚く見える

収集癖のある私は住む町の広報を小学2年の頃から保管し続けいるため、それだけでも収納場所の確保に頭を悩ませることになっているのだが、そのくせ近隣の市町村や旅先においても、コンビニやスーパーなどに置かれた広報を拾ってきてしまうので、その他の収集…

担任がいっぱい

世代差も影響してくるだろうが、現代日本で育った人間たちは平均で何人ほどの「担任教師」と関わっているものなのだろう。教科や講義ごとの担当ではなく、学級等ごとの「担任」の話である。 義務教育期の9年間、高校、そして大学や専門学校等へ進めばさらに…

虫だってあざとくて何が悪いの?

どうやら今季はテントウムシの姿が多い。基本的に見た目にも生態的にも害のない彼らだが、あまりに大量発生されると結局は害虫扱いになる。むやみに退治するのも気が引けるので、「ちょっと多い」程度で活動してくれることを祈る。 しかし、テントウムシを手…

恵比寿大黒地獄篇

アイスクリームショップなどなかったはずの懐かしき上磯瀬百貨店食品売り場の横には、売り場の商品をレジへ通す前に入店できてしまう位置関係で30年程前のサーティワンが店を構え、店の買い物籠に支払前の商品を入れたままの母子たちがチョコミントとバナナ…

少年と犬と公衆衛生と私

最寄りの辛うじて集落と呼べそうな地域にも、かつては数軒の飲み屋があった。さらに古の時代には、旅館や映画館すら存在したようだが、それは齢80に差し掛かろうとしている私の父が少年だった頃までの話だ。それでも数軒の飲食店や商店の類が私の誕生後もど…

吐きだめのヘドラ

「観ておくべき名作映画ランキング」、あるいはもっと単純に「好きな映画ランキング」といったものには、おそらく上位どころか下位にも掠るか掠らないかという存在だろうが、「汚い映画ランキング」ならばベスト3に選ばれそうな怪作『吐きだめの悪魔』(1986…

冬よ来い

天候、特に気圧の変化によって体調が悪くなる、いわゆる気象病と呼ばれる症状が顕著になったのは中学に入ったあたりからで、そういう体質なのだろうと成人になるまで放置した結果が現在の私の惨状なわけだが、それでも遅ればせながら医療機関のお世話になる…

座敷童子を騙そう

座敷童子を騙そう 落ちぶれた伯父の頼みで 先走るチャウチェスク 常に坊主の影 座敷童子を騙そう 詩人な伯父を抱えて 先走る総辞職 夢に坊主の影 2000年9月某日の日記の端に書き殴られていた文章で、どうやら寝惚け眼の頭に浮かんだ「上を向いて歩こう」の替…

キツネで遊ぶな子供たち

キツネはよく轢かれている。我が故郷の見なれた光景である。当たり前のように沢山のキツネが生息し、そんなキツネたちのことなどお構いなしにダンプやトラックやその他諸々の重機類をせわしなく乗り回す荒々しい農業の方々もまた大勢生息しているのが主な原…

同情せぬから金をくれ

かつての教師や上司が「時代とはいえ、あの頃の自分の指導方法は間違っていた」と教え子や部下に謝罪してまわるといった話は一向に聞こえてこない。大半が間違っていたなどと微塵も考えないのだろうし、仮にごくわずかな数、過去の自分の指導法を悔やんでい…