「みんな一緒"なんて真っ平御免」(ジョン・ライドン)

「昔から気になる言葉に「捩じれ国会」。参議院は、衆議院で決めたことをチェックすることが重要な仕事なわけで、その機能を一番行使しやすいのが野党の議席が与党のそれを上回っている状態のはず。だから「捩じれ」でもなんでもないと思う。捩じれ、捩じれ、と云うのは止めて欲しい。」(細野辰興)

 細野辰興監督のツイッターでの発言だが、私もかねてから「捩じれ」というネガティヴな表現が気になっていた。捩じれている方が健全な状態だろう(ついでに言うと、ある案件に関し、党内で意見が分かれているというのも、問題があるどころか、その方が良い状態だろう。足並みが揃っていないなどと表現されがちだが、それは同じ党内でもちゃんと議論がされている証であり、自浄作用も期待できる)。しかし、そう考えない人は、けっこう多いようだ。

 細野監督の呟きを見たすぐ後に、菊池誠さんが「捩じれ国会にしておいた方がいいよね」と呟いているのを見た。もちろん、「捩じれ国会」という呼び方にしておいた方が良いという意味ではなく、「捩じれさせておいた方が良い」という意味だ。しかし、その発言に対し、自民党支持者と思われる人が「良くない」とリプを飛ばしていた。

 菊池さんが「今の自民党政権は危険」と返答すると、相手は「自民党は、日本で一番安全な政党」だと返した。しかし、本当に自民党が「日本で一番安全な政党」であっても、自民党に一切危険がないかどうかの答えにはなっていない。この人も「一番安全」という答え方からして、まったく危険材料がないとは考えていないのだろう。

 菊池さんは、人権の危機だと更に返答する。対する答えは「民主党政権下の3年をお忘れになったのですか?日本人の為にならない政治を行っていた事を」というものだった。これも、結局、民主党も駄目だったという意見でしかなく、自民党がほぼ単独で日本を動かすことの危険性が、目を瞑っても良いレベルの危険なのかどうかという事の回答になっていない。

 「自民党は人権を制限することを名言していますから論外」という意見には、「無制限の人権が有ると思って居られるのですか?」との答えだが、これはもう論点のすり替えだろう。菊池さんが守るべきだと考えている人権が、現在の日本の状況において、多少侵害されるのも仕方がないという理由を、この人はしっかり説かなければならないはずだ。

 そもそも、ここでは「自民党を政権から引きずり下ろせ」などという話は出ていない。あくまで、「捩じれ国会」と呼ばれている状況の方が、良いだろうという話だ。『スタンフォード白熱教室』においても、議論の進め方の訓練として、ある人はすべてのアイデアの良い点だけを探し、ある人は悪い点だけを探すようにする、というものがあった。

 私自身、現政党の中なら、確かに自民党が与党であるのが、一番良いと思ってはいるのだが、自民党の危険性は決して無視できるものではないとも思うし、だからこそ「捩じれ国会」であるべきだと考えている。これは、例え与党が民主党になろうと共産党になろうと(共産党が与党になることは、ないとは思うけど)同じことだ。それがない状態は、いわば第三者委員会が存在しない、というようなものだろう。

 今回は、たまたま自民党支持者と思われる人だったが、おそらく他党支持者にも、捩じれ国会はダメなものとしか考えられない人はいるのだろう。「とにかくやってみよう」などという無責任で危険極まりない考え方が、どんな分野でも叫ばれがちだという印象を私は持っているが、それも「捩じれ国会はいけないもの」という思考と関係しているような気がする。