「『聲の形』を再読して改めて感じたり、考えたことを綴る」ということが出来ていないことに関する弁明

 美月雨竜とかいう謎めいた人物が何故謎めいているかと言えば、その世界に対する影響力の哀しいまでの低さに依るところが大きい。そんな世界に対する影響力の低い謎めいた美月雨竜さんは、昨年わりと熱心に連載を追っていた漫画『聲の形』について、今一度感じたり、考えたりしたことをしっかりと記しておきたいと考えている。それは、『聲の形』の連載が終了した時から、ずっと述べていることである。

 しかし、2015年2月4日現在、その「完結した今、改めて読み直した『聲の形』で感じたり、考えたりしたことを綴ろう」の回が、このブログに掲載される気配は一向に見られない。

 前述の通り、美月雨竜さんは世界への影響力の低さゆえに謎めいているため、昨年の中ごろあたりから、誰に頼まれるわけでもなく、『聲の形』の最新話を読むたびに、ああだこうだと勝手なことをこのブログで綴っていたこと自体、知っている人は少ない。その希少な方々の多くも、今さら美月雨竜とかいう奴の感想や考察など期待していないであろうし、むしろ「書いてくれるな」とさえ思っているかもしれない。だが、不幸なことに美月雨竜さんは書きたがっているのである。

 「そんなに書きたいのであれば、さっさと書けば良いだろう」と思われるだろうが、そう簡単な話ではないのである。書きたいことが見つからないわけではない。ただし、なかなかまとまらない。しかし、文章がまとまらないのは、今に始まったことではない。美月雨竜さんが、改めて感じ、考えたあれこれを書けないのには、もっと大きな理由がある。

 これまでの『聲の形』に関する、美月雨竜とかいう謎めいた気持ち悪そうな人物の感想/考察を読んでいた物好きな方々ならご存知だろうが、この謎めいた気持ち悪そうな人物は、ヒロインである西宮硝子のことをたいへん気に入っている。しかし、この『聲の形』という作品は、そんな西宮硝子が辛そうにしていたり、苦しそうにしていたり、酷い目に遭っていたりすることが多く、再読するのが辛すぎるのである。

 つまり、美月雨竜さんは、連載終了以降、いまだに『聲の形』を一から再読できていないのである。「改めて感じたり、考えたこと」が書けないのは、当然である。



 というわけで、もうしばらく時間がかかりそうである。どうせなら、ずっと私の感想/考察を読んでいた物好きな方々が、さすがに私のことを忘れていそうな頃を見計らって更新しようかと企んでいる。


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 呟き散らかしたこと。



 名言から外したい名言シリーズ

「塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない。だが、なめてみればすぐ分かる」(松下幸之助

 言ってることは分かるのだが、名言bot的なヤツで流れてきたとき「とにかくやってみた方が早い。理屈をこねて行動を起こさずにいる時に思い出したい言葉」という添文があったのが大きなマイナス。「とにかくやってみた方が早い」で、どれだけ甚大な被害が出てきたことか。学問は、取り返しのつかない失敗を可能な限り防ぐためのものでもあろう。塩の辛さや砂糖の甘さ程度のことなら、やってみれば良いで済むかもしれないが、それは塩や砂糖が「ひと舐めするくらいなら、健康に害はない」という「学」があればこそなのだ。松下幸之助がやろうとしていることが、塩や砂糖をひと舐めと同列で語れるものかどうかが重要。