しらない夢

 昨晩、夢の中で嫌いな有名人がももいろクローバーZと対談しており、そのなかで「伝説や物語というものは、偉人を我々と近い存在だと思わせる作用があるので、それはたいへん危険なことでもある」と語っていた。夢の中の私は「珍しく良いことを言うなあ」などと感心していたのだが、目覚めてから改めて考えてみると、なんだかよくわからない言葉である。夢の中の出来事は、基本的にふわふわしているものだが、夢の中の自分の思考もまた同じように、あるいはシュールな出来事以上にふわふわしているものである。夢の中の私がテレビを観ていたのか、対談の場にいたのかも判断できない。

 私は見た夢を記録しておきたいので、常に枕元にノートと筆記用具を置いてある。夢を見ているときは、眠りが浅いときでもあるので、夢を見た直後に目覚めてしまうことも多い。目覚めても半分寝ているようなものなので、そのまますぐにまた眠りはじめてしまっては、次に目覚めると「なんだか、夢を見た気はするけれど思い出せない」という状態に陥りやすい。なので、半覚醒状態のままノートに書き記すのだが、暗いなか、感覚だけを頼りに、しかも薄らぼんやりとした頭で書き記すため、あとで見てみると、字が重なったりしていて、判読不能になっていることがある。それでも、いくつかの単語を読み取れば、なんとなく夢の内容を思い出すことができるのだが、そういった場合、微妙に実際に見た夢と異なった記憶が作られることもある。「こんな内容だったはずだけど、なにか違っている気がする。いくつかの点が、新たに勝手に作ってしまったような気がする」。しかし、一度“作ってしまう”(正確には、作ってしまったのかどうかもわからない)と、もう正しい夢の内容を思い出すことはできない。そもそも、誤っているのかどうかすらわからないのだから当然である。

 これがまた、一年くらい経ってから夢ノートを読み直してみると、そんな夢を見たのかどうかすら怪しくなっているものが出てきたりもする。昨晩の夢も、来年あたりには、そんな「見たのかどうかすらわからない夢」になっている可能性がある。そうなっても、さして惜しくはない夢ではあるけれど。