「じゃがいもは肉じゃがそのものだ」みたいな

 「サッカーは人生そのものだ」
 「野球は人生そのものだ」
 「映画製作は人生そのものだ」
 「バンドは人生そのものだ」etc...

 よく聞く、いわゆる「手垢のついた言い回し」(「手垢のついた言い回し」自体が「手垢のついた言い回し」なんだけど、それに関しては清水義範さんの短編「手垢のついた言い回し」を読めばいいと思う)ってやつだけど、そもそも「人生」なんて強大なものの前では、大抵のものが「〜は人生そのものだ」と言えるだろう。なにしろ、「〜」に入る部分は、基本的に「人生」ってやつに内在してるのだ。

 だから、サッカーとか野球とか映画製作とかバンドとか、爽やかだったり芸術っぽかったり崇高っぽかったりするものでなくても、この言い回しは成り立つ。「〜」部分のどんな面を切り取るかが重要なわけだから「万引きは人生そのものだ」でも「自慰行為は人生そのものだ」でも「排泄行為は人生そのものだ」でも「引きこもることは人生そのものだ」でも、なんでも良いのである。

 結局、この言い回しは、「〜」に特別な思いを抱いている人が、他者にもその思いを押し付けたいという欲求のもと、一見「客観的」に見えるように作られたものなのだと思う。どのみち、あまり説得力のある言い回しだとは思えない(いまどき、こんな言い回しに「その通りだ」と思う人がいるのだろうか。いたとしても、それは元々「〜」に特別な思いを抱いている人だろう)。説得力がないどころか、「あんたにとっての人生って、〜にしか例えられない程度のものなの?」と、私なら思うのだが。

 ちなみに、最初にサッカーの例を出したのは、高校時代のサッカー部の顧問教師が、年度末に発行される生徒会誌に「サッカーは人生そのものだ」という書き出しで長々と押しつけがましい文章を書いていたのが、やけに頭に残ってしまっているからで、別にサッカーそのものの魅力を否定しようとは思わない(好きでもないけど)。

 ただ、「〜は人生そのものだ」という言い回しを使いたがる人間は、「〜」の魅力を広めるのには向いていないと思う。あの教師も、部の顧問(つまり、既にサッカーをやりたいと心に決めている者の指導者)としては優秀だったのかもしれないけど、サッカーに興味のない人間にサッカーの魅力を伝えることは出来ないだろう。少なくとも、私には伝わっていない。「鬱陶しいなあ」と思っただけである。

 いずれにしても、「〜は人生そのものだ」っていうのは、「ベーコンはベーコンエッグそのものだ」程度の意味でしかないと思う。「ベーコンエッグ」って言ってんだから、ベーコンが入っていて当然だろう、と。
 
 「人間の70パーセントは水で出来ているのだから、水は人間そのものだ」というのにも似ているかも。この発想は、「水からの伝言」みたいなオカルトを生んでるので、やっぱりロクな思考法じゃないだろう。