芸術系の道に進みたい人のための必見・必読・必聴作品リスト(その他書籍:海外15)

[その他書籍(海外15)] 1990年代前半



アルビン・トフラー『パワーシフト 21世紀へと変容する知識と富と暴力』(1990年)
アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か? モダニティの帰結』(1990年)
イヴ・K・セジウィック『クローゼットの認識論 セクシュアリティの20世紀』(1990年)
S・T・ジョシ『ジョン・ディクスン・カーの世界』(1990年)
エドガール・モラン『複雑性とはなにか』(1990年)
エドワード・ゴーリー『音叉』(1990年)
エマニュエル・トッド『新ヨーロッパ大全』(1990年)
オクタビオ・パス『大いなる日々の小さな年代記』(1990年)
ギュンター・グラスドイツ統一問題について』(1990年)
ゲアリ・P・スティーンソン『カール・カウツキー 1854‐1938 古典時代のマルクス主義』(1990年)
ケヴィン・リンチ『廃棄の文化誌 ゴミと資源のあいだ』(1990年)
コリン・ウィルソン、ドナルド・シーマン『連続殺人の心理』(1990年)
コルネリュウス・カストリアディス『細分化された世界』(1990年)
ジェームズ・ランディ『ノストラダムスの大誤解 イカサマまみれの伝説43の真相』(1990年)
ジグムント・バウマン社会学の考え方 日常生活の成り立ちを探る』(1990年)
ジャック・デリダ有限責任会社』(1990年)
ジャック・デリダ『精神について ハイデッガーと問い』(1990年)
ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』(1990年)
ジャック・デリダ『哲学への権利』(1990年)
ジャック・ランシエール『政治的なもののほとりで』(1990年)
ジュディス・バトラージェンダー・トラブル フェミニズムアイデンティティの攪乱』(1990年)
ジョー・クーパー『コティングリー妖精事件』(1990年)
ジョージ・L・モッセ『英霊 創られた世界大戦の記憶』(1990年)
ジョルジョ・アガンベン『到来する共同体』(1990年)
ジョン・クラカワー『エヴェレストより高い山 登山をめぐる12の話』(1990年)
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990』(1990年)
シンディ・シャーマン『UNTITLED FILM STILLS』(1990年)
ティーヴン・トゥールミン『近代とは何か その隠されたアジェンダ』(1990年)
ダグラス・アダムズ、マーク・カーワディン『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』(1990年)
ダロルド・A・トレッファート『なぜかれらは天才的能力を示すのか』(1990年)
趙甲済『金賢姫は告白する(北朝鮮女秘密工作員の告白)』(1990年)
デイヴィッド・ロッジバフチン以後 〈ポリフォニー〉としての小説』(1990年)
デヴィッド・フォスター・ウォレス、マーク・コステロ『ラップという現象』(1990年)
デヴィッド・ハーヴェイ『ポストモダニティの条件』(1990年)
テリー・イーグルトン『理論の意味作用』(1990年)
テリー・イーグルトン『美のイデオロギー』(1990年)
テリー・イーグルトン、フレデリック・ジェイムスン『民族主義植民地主義と文学』(1990年)
デレク・ジャーマン『ラスト・オブ・イングランド』(1990年)
ドゥーガル・ディクソン『マンアフターマン』(1990年)
ドクター・スース『きみの行く道』(1990年)
ドナルド・A・グリンデJr.、ブルース・E・ジョハンセン『アメリカ建国とイロコイ民主制』(1990年)
パトリック・シャモワゾー『幼い頃のむかし』(1990年)
ハワード・F・ドッサー『コリン・ウィルソン その人と思想の全体像』(1990年)
ハンス・クリスチャン・アンデルセン(作)/バーナデット(絵)『バーナデットのモミの木』(1990年)
ハンター・S・トンプソン『アメリカンドリームの終焉』(1990年)
ピエール・ブルデューディスタンクシオン 社会的判断力批判』(1990年)
P.J.ケリー『功利主義と配分的正義 ジェレミ・ベンサムと市民法』(1990年)
ビノーバ・バーベ、サティシュ・クマール『怖れるなかれ 愛と共感の大地へ』(1990年)
ビル・コールマン『米空軍「UFO機密ファイル」の全貌 43年間にわたって秘匿され続けてきた調査秘話』(1990年)
ビル・ビュフォードフーリガン戦記』(1990年)
フランク・ザッパフランク・ザッパ自伝(The Real Frank Zappa Book)』(1990年)
フレッド・ウェイツキン『ボビー・フィッシャーを探して』(1990年)
フレドリック・ジェイムスン『目に見えるものの署名 ジェイムソン映画論』(1990年)
フレドリック・ジェイムスン『アドルノ 後期マルクス主義弁証法』(1990年)
ベネディクト・アンダーソン『言葉と権力 インドネシアの政治文化探究』(1990年)
ヘンリー・ペトロスキー『鉛筆と人間』(1990年)
ポール・ヴィリリオ『瞬間の君臨 リアルタイム世界の構造と人間社会の行方』(1990年)
ポール・リクール『他者のような自己自身』(1990年)
マイク・デイヴィス『要塞都市LA』(1990年)
マイケル・ケイン『映画の演技 映画を作る時の俳優の役割』(1990年)
マーガレット・ドラブル『キャリアと家族』(1990年)
マッテオ・モッテルリーニ『方法論のプラスとマイナス』(1990年)
ミーシャ・ダミヤン(作)/ドゥシャン・カーライ(絵)『12月くんの友だちめぐり』(1990年)
ヤープ・ファン・クリンケン『ディアコニアとは何か 義とあわれみを示す相互扶助』(1990年)
ユルゲン・ハーバーマス『遅ればせの革命』(1990年)
ユルゲン・ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』(1990年)
リチャード・ジェフリー『記号論理学 その展望と限界をさぐる』(1990年)
リチャード・ジェフリー『形式論理学 その展望と限界』(1990年)
リンダ・シーガー『記憶に残るキャラクターの作り方』(1990年)
レイ・ブラッドベリブラッドベリがやってくる 小説の愉快』(1990年)
ロバート・パーシグ『禅とオートバイ修理技術』(1990年)
ロバート・ホワイティング『和ともって日本となす』(1990年)
ロバート・メイプルソープメイプルソープの花』(1990年)
ロミ、アルフォンス・ブーダール『娼館の黄金時代』(1990年)
ゲーリードーア(編)『死を超えて生きるもの 霊魂の永遠性について』(1990年)
アーサー・クラインマン『精神医学を再考する 疾患カテゴリーから個人的経験へ』(1991年)
アムネスティ・インターナショナル アジア・ウォッチ『中国における人権侵害 天安門事件以後の情況』(1991年)
アラン・コルバン『時間・欲望・恐怖 歴史学と感覚の人類学』(1991年)
アンソニー・ギデンズ『モダニティと自己アイデンティティ 後期近代における自己と社会』(1991年)
イアン・カーショー『ヒトラー 権力の本質』(1991年)
イタロ・カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』(1991年)
イマニュエル・ウォーラーステイン『脱=社会科学 19世紀パラダイムの限界』(1991年)
イマニュエル・ウォーラーステイン『ポスト・アメリカ 世界システムにおける地政学と地政文化』(1991年)
エズラ・F・ヴォーゲル『アジア四小龍 いかにして今日を築いたか』(1991年)
エドモン・ジャベス『歓待の書』(1991年)
エドワード・サイード『音楽のエラボレーション』(1991年)
エマニュエル・レヴィナス『われわれのあいだで 〈他者に向けて思考すること〉をめぐる試論』(1991年)
エリザベス・キューブラー=ロス『死後の真実』(1991年)
カート・ヴォネガット『死よりも悪い運命』(1991年)
カルロ・モリノ『カルロ・モリノ写真集』(1991年)
グリール・マーカス『デッド・エルヴィス』(1991年)
ケン・ウィルバー『グレース&グリット』(1991年)
ゴードン・トーマス『北京の長い夜 ドキュメント天安門事件』(1991年)
コリン・ウィルソン『世界超能力百科』(1991年)
コリン・ウィルソンコリン・ウィルソンの殺人ライブラリー』(1991年)
サイモン・エヴニン『デイヴィドソン 行為と言語の哲学』(1991年)
サスキア・サッセン『グローバル・シティ ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を』(1991年)
ジェラルド・L・カーティス『ポスト冷戦時代の日本』(1991年)
シェルビー・スティール『黒い憂鬱 90年代アメリカの新しい人種関係』(1991年)
シーモア・ハーシュ『サムソン・オプション』(1991年)
ジャック・デリダ『時間を与える』(1991年)
ジャック・デリダ『割礼告白』(1991年)
ジャック・デリダ『他の岬』(1991年)
シャーマン・アレクシー『The Business of Fancy Dancing』(1991年)
ジャン=フランソワ・リオタール『崇高の分析論 カント「判断力批判」についての講義録』(1991年)
ジャン=フランソワ・リオタール『インファンス読解』(1991年)
ジャン・マリトマソー『メロドラマ フランスの大衆文化』(1991年)
ジャン=リュック・ナンシー、ジャン=クリストフ・バイイ『共出現』(1991年)
ジョナス・メカス『メカスの難民日記』(1991年)
ジョン・グレイ、G.W.スミス『ミル「自由論」再読』(1991年)
ジル・クレマン『動いている庭』(1991年)
ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『哲学とは何か?』(1991年)
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言』(1991年)
スラヴォイ・ジジェク『斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ』(1991年)
スラヴォイ・ジジェク『為すところを知らざればなり』(1991年)
ダイアナ・ブルートン『月世界大全 太古の神話から現代の宇宙科学まで』(1991年)
ダニエル・ヤーギン『石油の世紀 支配者たちの興亡』(1991年)
チャールズ・C・マン、マーク・L・プラマー『アスピリン企業戦争 薬の王様100年の軌跡』(1991年)
チャールズ・テイラー『「ほんもの」という倫理 近代とその不安』(1991年)
デイヴィッド・アイク『真実の振動』(1991年)
デイヴィッド・ウィーズナー『かようびのよる』(1991年)
デイヴィッド・ハルバースタムネクスト・センチュリー』(1991年)
デイヴィッド・ハルバースタム『戦争ゲーム』(1991年)
デヴィッド・ホックニー『FAX DIBUJOS』(1991 年)
テリー・イーグルトン『イデオロギーとは何か』(1991年)
ドゥルシラ・コーネル『脱構築と法 適応の彼方へ』(1991年)
ニコルソン・ベイカーU&I』(1991年)
パトリック・シャモワゾー、ラファエル・コンフィアン『クレオールとは何か』(1991年)
バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム 啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』(1991年)
ピエール・ダルモン『ロデスのうわさ 19世紀フランスの一大まやかし裁判』(1991年)
ピート・ハミルアメリカン・ジャーナル』(1991年)
ピート・ハミル『イラショナル・レイビングス ピート・ハミル/ジャーナリズム60's』(1991年)
フィリップ・ラクー=ラバルト『虚構の音楽 ワーグナーのフィギュール』(1991年)
フィリップ・ラクー=ラバルトジャン=リュック・ナンシー『ナチ神話』(1991年)
ブルーノ・ラトゥール『虚構の「近代」 科学人類学は警告する』(1991年)
ボブ・ウッドワード『司令官たち 湾岸戦争突入にいたる“決断”のプロセス』(1991年)
マイケル・ルイス『パシフィック・リフト』(1991年)
マイケル・ルイス『マネー・カルチャー』(1991年)
マーガレット・ドラブルマーガレット・ドラブル東京講演』(1991年)
マーチン・ファン・クレフェルト『戦争の変遷』(1991年)
マルタン・モネスティエ『図説 決闘全書』(1991年)
ミシェル・ウエルベック『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』(1991年)
ミシェル・パストゥロー『縞模様の歴史 悪魔の布』(1991年)
モリー・バング『絵には何が描かれているのか 絵本から学ぶイメージとデザインの基本原則』(1991年)
ユルゲン・ハーバーマス『討議理論』(1991年)
ユルゲン・ハーバーマス『テクストとコンテクスト』(1991年)
ユルゲン・ハーバーマス『未来としての過去 ハーバーマスは語る』(1991年)
ユン・チアン『ワイルド・スワン』(1991年)
レイ・ブラッドベリブラッドベリはどこへゆく 未来の回廊』(1991年)
レム・コールハース『建築家の講義』(1991年)
ロバート・B・ライシュ『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ 21世紀資本主義のイメージ』(1991年)
ロバート・ホワイティンウ、ウォーレン・クロマティ『さらばサムライ野球』(1991年)
ロミ、ジャン・フェクサス『おなら大全』(1991年)
ジャック・アンリク(編)『クロソフスキー画集』(1991年)
マイケル・ギボンズ、ビヨルン・ウィトロック(編)『商品としての科学 開放的な学者共同体への脅威』(1991年)
リチャード・ローティ『文化政治としての哲学』(1991年~2007年)
アクセル・ホネット『権力の批判 批判的社会理論の新たな地平』(1992年)
アーサー・C・クラーク地球村の彼方 未来からの伝言』(1992年)
アマルティア・セン『不平等の再検討 潜在能力と自由』(1992年)
アンガス・フレーザー『ジプシー 民族の歴史と文化』(1992年)
アンソニー・ギデンズ『親密性の変容 近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム』(1992年)
イヴァン・イリイチ『生きる意味 「システム」「責任」「生命」への批判』(1992年)
ウォルター・アイザックソンキッシンジャー 世界をデザインした男』(1992年)
ウンベルト・エーコリチャード・ローティ、他『エーコの読みと深読み』(1992年)
エドワード・オズボーン・ウィルソン『生命の多様性』(1992年)
エマニュエル・レヴィナス『観念に到来する神について』(1992年)
エリザベット・バダンテール『XY 男とは何か』(1992年)
カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史』(1992年)
ギルバート・アデア『ポストモダニストは2度ベルをならす』(1992年)
クリストファー・R・ブラウニング『普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』(1992年)
クリストファー・アンダーセン『マドンナの真実』(1992年)
クロード・S・フィッシャー『電話するアメリカ テレフォンネットワークの社会史』(1992年)
ゲール・エルトン・メーヨー『ガンとともに生きる』(1992年)
サイモン・ウィンチェスター『太平洋の悪夢 日本に再び原爆が投下される日』(1992年)
ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』(1992年)
ジム・コリンズ、ビル・ラジアー『ビジョナリー・カンパニーZERO』(1992年)
ジャック・デリダ『死を与える』(1992年)
ジャック・デリダ『パサージュ 外傷から約束へ』(1992年)
ジャック・ランシエール『歴史の名前』(1992年)
シャーリー・フェントン・ヒューイ『忘れられた人びと 日本軍に抑留された女たち・子どもたち』(1992年)
ジャレド・ダイアモンド『人間はどこまでチンパンジーか? 人類進化の栄光と翳り』(1992年)
ジャンニ・ロダーリ『幼児のためのお話の作り方』(1992年)
ジャン=リュック・ナンシー『共同‐体(コルプス)』(1992年)
シュメル・ノア・アイゼンシュタット『文明形成の比較社会学 ヴェーバー歴史理論の批判的展開』(1992年)
ジュリアン・グラック『街道手帖』(1992年)
ジョン・オースティン『ハリウッド、危険な罠』(1992年)
ジョン・グレイ『ベスト・パートナーになるために 男は火星から、女は金星からやってきた』(1992年)
ジョン・G・ゲイジャー『古代世界の呪詛板と呪縛呪文』(1992年)
ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド! 哲学の挑戦』(1992年)
ティーヴン・ビースティー、リチャード・プラット『輪切り図鑑 クロスセクション』(1992年)
ティーヴン・ムルホール、アダム・スウィフト『リベラル・コミュニタリアン論争』(1992年)
スラヴォイ・ジジェク『汝の症候を楽しめ ハリウッドVSラカン』(1992年)
スラヴォイ・ジジェクヒッチコック×ジジェク』(1992年)
ダニエル・デネット『解明される意識』(1992年)
ダニエル・ペナック『奔放な読書 本嫌いのための新読書術(ペナック先生の愉快な読書法)』(1992年)
チャールズ・ブコウスキー『指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け』(1992年)
デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』(1992年)
デレク・ジャーマン『モダン・ネイチャー/デレク・ジャーマンの日記』(1992年)
ドゥルシラ・コーネル『限界の哲学』(1992年)
ドナルド・A・ノーマン『テクノロジー・ウォッチング ハイテク社会をフィールドワークする』(1992年)
トニ・モリスン『白さと想像力 アメリカ文学の黒人像(暗闇に戯れて 白さと文学的想像力)』(1992年)
ナオミ・ウルフ『美の陰謀 女たちの見えない敵』(1992年)
ニック・ホーンビィ『ぼくのプレミア・ライフ』(1992年)
ニック・ランド『絶滅への渇望 ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム』(1992年)
ノーマン・マクレイ『フォン・ノイマンの生涯』(1992年)
パルヴェーズ・フッドボーイ『イスラームと科学』(1992年)
ハルオ・シラネ夢の浮橋 『源氏物語』の詩学』(1992年)
ピエール・ブルデュー『芸術の規則』(1992年)
ビッキー・ロビン、ジョー・ドミンゲス『Your Money or Your Life』(1992年)
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』(1992年)
フリーマン・ダイソン『ガイアの素顔 科学・人類・宇宙をめぐる29章』(1992年)
ブルース・ウェーバーHotel Room With a View』(1992年)
ブルース・ギルデン『Facing New York』(1992年)
ヘンリー・ペトロスキー『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』(1992年)
ボブ・グリーン『マイケル・ジョーダン物語』(1992年)
マイケル・ウォルツァーアメリカ人であるとはどういうことか 歴史的自己省察の試み』(1992年)
マーカス・フィスター『にじいろのさかな』(1992年)
ミシェル・ウエルベック『幸福の追求』(1992年)
ミシェル・レリス『ミシェル・レリス日記』(1992年)
ミシェル・レリス『オペラティック』(1992年)
ミヒャエル・エンデサンタ・クルスへの長い旅』(1992年)
ユルゲン・ハーバーマス『事実性と妥当性 法と民主的法治国家の討議理論にかんする研究』(1992年)
ヨゼフ・クーデルカ『GYPSIES』(1992年)
リチャード・セイラー『市場と感情の経済学「勝者の呪い」はなぜ起こるのか(セイラー教授の行動経済学入門)』(1992年)
リチャード・ローズ『メイキング・ラヴ』(1992年)
リンダ・コリー『イギリス国民の誕生』(1992年)
ルイーズ・グリュック『野生のアイリス』(1992年)
ロジャー・コーマン『私はいかにしてハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったのか ロジャー・コーマン自伝』(1992年)
ロバート・メイプルソープ『Mapplethorpe』(1992年)
ロルフ・W・ブレードニヒ『ヨーロッパの現代伝説 悪魔のほくろ』(1992年)
アマルティア・セン、マーサ・ヌスバウム『クオリティー・オブ・ライフ 豊かさの本質とは』(1993年)
アラン・バディウ『倫理 「悪」の意識についての試論』(1993年)
アラン・バディウ、ジャック・ランシエール、他『千年紀のランボー』(1993年)
R.ロペス・シロニス『旅する人間と神 哲学的神学の素描』(1993年)
イヴァン・イリイチ『テクストのぶどう畑で』(1993年)
ヴィクトル・エミール・フランクル『それでも人生にYESと言う』(1993年)
ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』(1993年)
ヴィム・ヴェンダース『かつて…』(1993年)
ヴェルナー・ヘルツォーク『氷上旅日記 ミュンヘン - パリを歩いて』(1993年)
ウンベルト・エーコ『完全言語の探求』(1993年)
エドガール・モラン、アンヌ=ブリジット・ケルン『祖国地球 人類はどこへ向かうのか』(1993年)
エドワード・W・サイード『知識人とは何か』(1993年)
エドワード・オズボーン・ウィルソン『バイオフィリア 人間と生物の絆』(1993年)
エドワード・ルトワックアメリカンドリームの終焉 世界経済戦争の新戦略』(1993年)
エマニュエル・レヴィナス『神・死・時間』(1993年)
オクタビオ・パス『エロスの彼方の世界 サド侯爵』(1993年)
オクタビオ・パス『二重の炎 愛とエロティシズム』(1993年)
カール・シファキス『詐欺とペテンの大百科』(1993年)
グレン・グールド、ジョナサン・コット『グレン・グールドは語る』(1993年)
コーネル・ウェスト『人種の問題 アメリカ民主主義の危機と再生』(1993年)
コリン・ウィルソン『二十世紀の神秘家ウスペンスキー』(1993年)
コリン・ウィルソン『世界犯罪史』(1993年)
サミ・マリラ『ムーミンママのお料理の本』(1993年)
ジャック・デリダ『パッション』(1993年)
ジャック・デリダ『コーラ』(1993年)
ジャック・デリダ『名を救う』(1993年)
ジャック・デリダマルクスの亡霊たち』(1993年)
ジャニス・R・マッキンノン、スティーヴン・R・マッキンノン『アグネス・スメドレー 炎の生涯』(1993年)
ジャン=フランソワ・リオタール『リオタール寓話集』(1993年)
ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ『ディエゴとフリーダ』(1993年)
ジュディス・バトラー『問題=物質となる身体 「セックス」の言説的境界について』(1993年)
ジョージ・B・シャラー『ラスト・パンダ 中国の竹林に消えゆく野生動物』(1993年)
ジョー・シャーキー『死体とFBI 情報提供者を殺した捜査官の告白』(1993年)
ジョセフ・P・シャピロ『哀れみはいらない 全米障害者運動の軌跡』(1993年)
ジョルジョ・アガンベンバートルビー 偶然性について』(1993年)
ジョン・バウワマスター『ピーター・ビアードの冒険』(1993年)
ジョン・ホープ・フランクリン『人種と歴史』(1993年)
ジル・ヴェルラン『ゲンスブールまたは出口なしの愛』(1993年)
スラヴォイ・ジジェク『否定的なもののもとへの滞留 カント、ヘーゲルイデオロギー批判』(1993年)
セバスチャン・サルガド『人間の大地 労働』(1993年)
デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ 1950年代アメリカの光と影』(1993年)
デイヴィッド・ハルバースタム『幻想の超大国 アメリカの世紀の終わりに』(1993年)
鄭義『中国の地の底で』(1993年)
テリー・イーグルトン『WITTGENSTEIN』(1993年)
ドゥーガル・ディクソン『ディクソンの大恐竜図鑑』(1993年)
ドナルド・A・ノーマン『人を賢くする道具 ソフト・テクノロジーの心理学』(1993年)
トーベ・ヤンソン『島暮らしの記録』(1993年)
トマス・ホーヴィング『ミイラにダンスを踊らせて メトロポリタン美術館の内幕』(1993年)
ニール・ボールドウィンマン・レイ』(1993年)
ノーバート・ウィーナー『発明 アイディアをいかに育てるか』(1993年)
パット・ライリー『The Winner Within』(1993年)
バベット・コール『ママがたまごをうんだ!』(1993年)
ピエール・ダルモン『癌の歴史』(1993年)
ピエール・ブルデュー『世界の悲惨』(1993年)
ピエール・ブーレーズ『標柱 音楽思考の道しるべ』(1993年)
ピーター・ビアード『Diary』(1993年)
ピート・ハミルアメリカ・ライフル協会を撃て』(1993年)
ピート・フレイム『ロック・ファミリー・ツリー』(1993年)
フランシス・フクヤマ、コンダン・オウ『冷戦後の日米同盟 「成熟の歴史」終わりの始まり』(1993年)
ベルナール=アンリ・レヴィ、フランソワーズ・ジルー『男と女 愛をめぐる十の対話』(1993年)
ポール・ヴィリリオ『情報エネルギー化社会 現実空間の解体と速度が作り出す空間』(1993年)
ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック 近代性と二重意識』(1993年)
マイケル・ハートドゥルーズの哲学』(1993年)
マーガレット・サッチャーサッチャー回顧録 ダウニング街の日々』(1993年)
マーサ・ヌスバウムアマルティア・セン『クオリティー・オブ・ライフ 豊かさの本質とは』(1993年)
ラスカル(作)/ルイ・ジョス(絵)『オレゴンの旅』(1993年)
リー・フリードランダー『LETTERS FROM THE PEOPLE』(1993年)
リンダ・ハッチオン『パロディの理論』(1993年)
ルネ・シェレール『歓待のユートピア 歓待神(ゼウス)礼賛』(1993年)
ロザリンド・E・クラウス『視覚的無意識』(1993年)
ロバート・D・ヘア『診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者たち』(1993年)
タイムライフ(編)『TRUE CRIMEシリーズ』(1993年~)
アーサー・C・クラーク『オリンポスの雪 アーサー・C・クラークの火星探検 水と緑の「惑星誕生」ものがたり』(1994年)
アラン・コルバン『音の風景』(1994年)
アンカ・ラダコビッチ『ワイルドガールズ・クラブ』(1994年)
アンソニー・S・ディビッド、ジョン・C・カッティング『精神分裂病神経心理学』(1994年)
アンソニー・ギデンズ『左派右派を超えて ラディカルな政治の未来像』(1994年)
アンソニー・ギデンズウルリッヒ・ベック、スコット・ラッシュ『再帰的近代化 近現代における政治、伝統、美的原理』(1994年)
アンドリュー・ハッカーアメリカの二つの国民 断絶する黒人と白人』(1994年)
イングリット・アーレント=シュルテ『魔女にされた女性たち 近世初期ドイツにおける魔女裁判』(1994年)
ヴァイン・デロリア・ジュニア『神は赤い』(1994年)
ウラジミール・ジャンケレヴィッチ『最初と最後のページ』(1994年)
ウンベルト・エーコエーコの文学講義 小説の森散策』(1994年)
エドガール・モラン『E.モラン自伝 わが雑食的知の冒険』(1994年)
エドワード・オズボーン・ウィルソン『蟻の自然史』(1994年)
エドワード・オズボーン・ウィルソン『ナチュラリスト』(1994年)
Eberhard Equit『Meisterwerke sächsischer Minerale』(1994年)
エマニュエル・トッド『移民の運命』(1994年)
オットー・フリードリック『ハリウッド帝国の滅亡 夢工場の1940年代』(1994年)
カーティス・ピーブルズ『人類はなぜUFOと遭遇するのか』(1994年)
カレン・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』(1994年)
グスタフ・ジリ・ガルフェッティ『建築家の小屋 プライベート・リトリート』(1994年)
クラウス・シュライナー『マリア』(1994年)
クロード・レヴィ=ストロース『ブラジルへの郷愁』(1994年)
ケヴィン・D・ランドル、ドナルド・R・シュミット『ロズウェルに堕ちたUFO』(1994年)
サミュエル・R・ディレイニー『静かな対話』(1994年)
ジェフリー・シルバーソーン『PHOTOGRAPHS』(1994年)
ジム・コリンズ、ジェリー・ポラス『ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則』(1994年)
ジャック・デリダ『法の力』(1994年)
ジャック・デリダ『友愛のポリティックス』(1994年)
ジャン=リュック・ナンシー『ミューズたち』(1994年)
ジョヴァンニ・アリギ『長い20世紀 資本、権力、そして現代の系譜』(1994年)
ジョージ・タケイ『星に向かって ジョージ・タケイ自叙伝』(1994年)
ジョルジュ・シャルボニエ『デュシャンとの対話』(1994年)
ジョン・バージャー『アルブレヒト・デューラー 水彩と素描』(1994年)
ジョン・ライドン『STILL A PUNK ジョン・ライドン自伝』(1994年)
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『死に魅入られた人びと ソ連崩壊と自殺者の記録』(1994年)
スーザン・ファルーデイ『バックラッシュ 逆襲される女たち』(1994年)
スチュワート・ブランド『HOW BUILDINGS LEARN What happens after they’re built』(1994年)
ティーヴン・ショア『Fotografien 1973 bis 1993』(1994年)
ティーヴン・ネイフ、グレゴリー・W・スミス『ファン・ゴッホの生涯』(1994年)
スティーブン・ピンカー『言語を生み出す本能』(1994年)
スラヴォイ・ジジェク『快楽の転移』(1994年)
セルジュ・ダネー『不屈の精神』(1994年)
ダニエル・キイス『ビリー・ミリガンと23の棺』(1994年)
デイヴィッド・シルヴェスター『ジャコメッティ 彫刻と絵画』(1994年)
デイヴィッド・ハルバースタム『さらばヤンキース 運命のワールドシリーズ』(1994年)
デイヴィッド・ライアン『ポストモダニティ』(1994年)
ティモシー・ホワイト『ビーチ・ボーイズとカリフォルニア文化 はるかな場所の一番近いところ』(1994年)
テリー・イーグルトン『WITTGENSTEIN』(1994年)
デレク・ジャーマン、ハワード・スーリー『デレク・ジャーマンのガーデン』(1994年)
パウロフレイレ『希望の教育学』(1994年)
パオロ・カヴァリエリ、ピーター・シンガー『大型類人猿の権利宣言』(1994年)
バージェス・メレディス『So Far, So Good』(1994年)
パトリシア・ローバー(文)/ホリー・ケラー(絵)『たべることは つながること しょくもつれんさのはなし』(1994年)
バーナード・マッギン『アンチキリスト』(1994年)
バーバラ・M・スタフォード『アートフル・サイエンス』(1994年)
ハリー・ケリー・ジュニアジョン・フォードの旗の下に』(1994年)
ハロルド・ブルーム『ウェスタン・キャノン』(1994年)
ピエール・グリマル『ローマの愛』(1994年)
ピーター・シンガー『生と死の倫理 伝統的倫理の崩壊』(1994年)
ピート・ハミル『ドリンキング・ライフ』(1994年)
ベルナール=アンリ・レヴィ『危険な純粋さ』(1994年)
ベル・フックス『とびこえよ、その囲いを 自由の実践としてのフェミニズム教育』(1994年)
ヘンリー・キッシンジャー『外交』(1994年)
ヘンリー・ペトロスキー『橋はなぜ落ちたのか 設計の失敗学』(1994年)
ホセ・カサノヴァ『近代世界の公共宗教』(1994年)
ボブ・ウッドワード『大統領執務室 裸のクリントン政権』(1994年)
ポール・ボウルズ『PHOTOGRAPHAS“How Could I Send a Picture into the Desert?”』(1994年)
マイケル・ウォルツァー『道徳の厚みと広がり われわれはどこまで他者の声を聴き取ることができるか』(1994年)
マイケル・ギルモア『心臓を貫かれて』(1994年)
マイケル・ジョーダン『挑戦せずにあきらめることはできない マイケル・ジョーダンのメッセージ。』(1994年)
マルタン・モネスティエ『図説 死刑全書』(1994年)
Michael Glasmeier『Die Bücher der Künstler』(1994年)
ムケシュ・エスワラン、アショク・コトワル『なぜ貧困はなくならないのか 開発経済学入門』(1994年)
李志綏『毛沢東の私生活』(1994年)
リチャード・プレストン『ホット・ゾーン』(1994年)
リンデン・グロス『ストーカー ゆがんだ愛のかたち』(1994年)
ロバート・K・レスラー、トム・シャットマン『FBI心理分析官』(1994年)
ロバート・M・サポルスキー『なぜシマウマは胃潰瘍にならないか ストレスと上手につきあう方法』(1994年)
ロバート・メイプルソープ『Mapplethorpe』(1994年)
ロベール・ドアノー、ダニエル・ペナック『ル・グラン・ヴァカンス』(1994年)
ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち よみがえる性的虐待の「記憶」』(1994年)
エイミー・ガットマン(編)『マルチカルチュラリズム』(1994年)
エリザベス・エドワーズ(編)『Anthropology and Photography 1860‐1920』(1994年)
レイ・カーニー(編)『ジョン・カサヴェテスは語る』(1994年)