孤独に生きるにゃ痩せるがマナー、あんたは死ぬには太過ぎる

 特別な知識や経験がなくとも予想できるだろうが、肉付きの良い若い人間よりも年老いて痩せ細った人間の方が、亡くなって放置されてしまった時に発生する腐敗臭や虫の量は少ないという。例えは悪いが、生肉と干肉を同じ場所に同じ時間放置するのを想像すれば、詳しい仕組みは説明できずとも納得はできるはずだ。

 「孤独死」「ひとり社会」といった言葉を頻繁に目にするようになって久しい。私自身、そろそろ40歳という、どうあがいても若いとは言えない年齢に差し掛かろうとしているうえ、現状の交友関係の狭さや経済状況等を考えれば、誰かに看取られ、綺麗な姿(あくまで遺体としての綺麗さだが)のまま葬ってもらうには、今すぐに命を落とす他ないのだろう。しかし、往生際が悪いというか命根性が汚いというか単に臆病というか、いずれにせよ突然の不幸が舞い込まない限り、実行できそうもない。

 ならばせめて残りの人生は、不運にも私の遺体を発見することになった者や現場処理を担当することになった者の精神的負担をなるべく少なくしてあげられるように生きるのがマナーというものだ。すなわち、余分な肉を付けず、可能な限り湿気と温度の低い場所で息を引き取るよう心掛けるべきなのだ。参考にすべきは即身仏か。

 誇って良いかどうかは分からないが、私は生まれてから一度も「肥満」状態にはなっておらず、むしろ「もっと食べなさい」と言われることが多かった。だが、孤独死の可能性を考えれば、マナーの良い生き方だったのである。逆に言えば、独り身でありながら、だらしなく肥え太っているのは、自身の健康に悪いだけでなく、死後の周囲の苦労を全く想像できていないということになる。各々、事情はあるだろうが、どうしても痩せられる自信がないのなら、人一倍家族や友人を大事にし、万が一の際になるべく早く発見してもらえるよう気をつけるべきである。