そして僕は「世界」を呪う

 「呪い」と呼ばれる効果を現実的に考えた場合、よく言われるように、他者から向けられた悪意や敵意を敏感に感じ取ってしまう者に生じる身体的・精神的不調、あるいは偶然降りかかった不幸を他者からの悪意・敵意と結び付けて考えてしまう状態がほとんどだろう。しかし、これは呪いの対象となった者が、一定以上の敏感さを持っていなければ意味がないということでもある。無神経で鈍感で自分が他者から悪意や敵意を向けられていることを想像すらできないような人間に対しては、本来の「呪い」が持つ(否、持つであろうと望まれている)超常的な力に期待するほかない。

 多くの忌まわしき人物たちを例に挙げるまでもなく、無神経で鈍感な人間ほど他者から呪われても仕方のないような言動が多い。きっと、実際に様々な方法で呪われていると思われる。だが、無神経で鈍感であるがゆえに、現実的な呪いの効果は全く期待できないのである。直接「お前を呪った」と伝えれば、さすがに悪意や敵意を気づかせることはできると思うが、往々にして気にもとめないことだろう。それを本人たちは「心の強さ」と主張するのだろうし、実際「呪い」に限らず、霊障等の超常的災難に対する最大の防衛策は「心を強く持つこと」だと言われるものの、上記のような者たちに関しては、やはり無神経なだけだと考えた方が納得できる。

 「復讐は何も生まない」という言葉には、いまだに首肯し切れない印象があるのだが、少なくとも復讐の方法として「呪い」に頼る場合は、確かに「何も生まない」可能性が高いと感じる。いや、どころか傷つき憎しみや哀しみに苛まれてしまうだけの感覚を持った「呪う側」にのみ、その精神的影響に伴う諸々の災厄が降りかかることも充分に考えられ、結局のところ、超常的効果を信じるまでもなく、「人を呪わば穴二つ」という言葉だけが実証されてしまうのかもしれない。なんとも救いのない話である。