芸術系の道に進みたい人のための必見・必読・必聴作品リスト(その他書籍:海外16)

[その他書籍(海外16)] 1990年代後半



アラン・コルバン『レジャーの誕生』(1995年)
アラン・バディウベケット 果てしなき欲望』(1995年)
アンリ・トロワイヤバルザック伝』(1995年)
イザベル・フォンセーカ『立ったまま埋めてくれ ジプシーの旅と暮らし』(1995年)
イマニュエル・ウォーラーステイン『アフター・リベラリズム 近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』(1995年)
ヴァイン・デロリア・ジュニア『赤い大地、白い嘘』(1995年)
ウェルナー・ラウー『Succulent and Xerophytic Plants of Madagascar』(1995年)
ヴォルフガング・ティルマンスWolfgang Tillmans』(1995年)
エマニュエル・レヴィナス『他性と超越』(1995年)
エリザベス・キューブラー=ロス『「死ぬ瞬間」と臨死体験(「死ぬ瞬間」と死後の生)』(1995年)
O.M.A.『S,M,L,XL』(1995年)
オクタビオ・パス『インドの薄明』(1995年)
オリバー・サックス『火星の人類学者』(1995年)
クリストファー・ヒッチェンズ『宣教師の立場』(1995年)
クリフォード・ストール『インターネットはからっぽの洞窟』(1995年)
ゲルハルト・ザウター『終末論入門』(1995年)
ケン・ウィルバー『進化の構造』(1995年)
コリン・ウィルソン『世界大犯罪劇場』(1995年)
Jacob Baal‐Teshuva、Wolfgang Volz『CHRISTO AND JEANNE‐CLAUDE』(1995年)
ジェラルド・L・カーティス『日本の政治をどう見るか』(1995年)
ジャック・デリダジャック・デリダのモスクワ』(1995年)
ジャック・デリダ『アーカイヴの病』(1995年)
ジャック・ランシエール『不和あるいは了解なき了解 政治の哲学は可能か』(1995年)
ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ『もうひとつの場所』(1995年)
ジョージ・ヘイ『ルルイエ異本』(1995年)
ジョルジョ・アガンベン『目的なき手段』(1995年)
ジョルジョ・アガンベンホモ・サケル』(1995年)
スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理 宇宙を貫く複雑系の法則』(1995年)
スチュアート・スイージー『デス・パフォーマンス 倒錯と死のアモクジャーナル』(1995年)
ダグラス・G・グリーン『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』(1995年)
デイヴィッド・ウィークス、ジェイミー・ジェイムズ『変わった人たちの気になる日常』(1995年)
デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』(1995年)
テリー・イーグルトン『表象のアイルランド』(1995年)
デレク・ジャーマン『危険は承知 デレク・ジャーマンの遺言』(1995年)
ドゥルシラ・コーネル『イマジナリーな領域 中絶、ポルノグラフィ、セクシュアル・ハラスメント』(1995年)
バーナード・ルイスイスラーム世界の二千年 文明の十字路中東全史(中東全史 イスラーム世界の二千年)』(1995年)
バラク・オバマ『マイ・ドリーム バラク・オバマ自伝』(1995年)
ピーター・シンガー『私たちはどう生きるべきか 私益の時代の倫理』(1995年)
ヒュー・ミラー『16の殺人ファイル』(1995年)
ヒラリー・パトナム『プラグマティズム 限りなき探究』(1995年)
ビル・ゲイツビル・ゲイツ 未来を語る』(1995年)
ビル・ブライソン『ビル・ブライソンのイギリス見て歩き』(1995年)
フェルナル・デュモン『記憶の未来 伝統の解体と再生』(1995年)
フランシス・フクヤマ『「信」無くば立たず』(1995年)
ブルース・パンドルフィーニ『ボビー・フィッシャーの究極のチェス 創造的で、大胆で、驚くべき革命的な珠玉の戦術 101』(1995年)
ヘニング・マンケル『炎の秘密』(1995年)
ベルナール・ブルジョワ『ドイツ古典哲学』(1995年)
ベル・フックス『アート・オン・マイ・マインド アフリカ系アメリカ人芸術における人種・ジェンダー・階級』(1995年)
ヘルマン・ヘッセ『人は成熟するにつれて若くなる(老年の価値)』(1995年)
ベンジャミン・ジェイコブス『アウシュヴィッツの歯科医』(1995年)
ボブ・グリーン『マイケル・ジョーダン リバウンド』(1995年)
ボブ・トマス『ウォルト・ディズニー』(1995年)
ボリス・ヴィアン『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』(1995年)
ポール・チャーチランド『認知哲学 脳科学から心の哲学へ』(1995年)
ポール・リクール『正義をこえて』(1995年)
マーシャル・マクルーハン『エッセンシャル・マクルーハン メディア論の古典を読む』(1995年)
マリカ・リー・ウィットニー、ダーモット・ハッシー『レゲエ王国 聖地ジャマイカボブ・マーリィ』(1995年)
マルク・ソーテ『ソクラテスのカフェ』(1995年)
マルタン・モネスティエ『図説 自殺全書』(1995年)
ミック・セント・マイケル『キース・リチャーズ トーク・イズ・チープ』(1995年)
ヤン・ソーデック『Jubilations and Obsessions』(1995年)
ラリイ・マキャフリイ『アヴァン・ポップ』(1995年)
リチャード・ドーキンス『遺伝子の川』(1995年)
リチャード・ローズ『原爆から水爆へ 東西冷戦の知られざる内幕』(1995年)
ルイーズ・ブルジョワ『Louise Bourgeois』(1995年)
レイウィン・コンネル『マスキュリニティーズ 男性性の社会科学』(1995年)
レム・コールハース『S,M,L,XL』(1995年)
ロバート・ウィルコックス『成功していた日本の原爆実験 隠蔽された核開発史』(1995年)
ロバート・S・マクナマラマクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓』(1995年)
ロバート・スクラー『アメリカ映画の文化史』(1995年)
ロミ『悪食大全』(1995年)
エリック・マクルーハン、フランク・ジングローン(編)『エッセンシャル・マクルーハン メディア論の古典を読む』(1995年)
マイケル・ウォルツァー(編)『グローバルな市民社会に向かって』(1995年)
ニール・ドナルド・ウォルシュ神との対話』(1995年〜1998年)
アラン・ヴィアラ『演劇の歴史』(1996年)
アラン・トラクテンバーグ『アメリカ写真を読む 歴史としてのイメージ』(1996年)
アラン・ライトマン『宇宙と踊る』(1996年)
ルノー・クラース『Photographies 1968-1995』(1996年)
アルベルト・マンゲル『読書の歴史 あるいは読者の歴史』(1996年)
アンソニー・ルイス『タロット 基本のリーディング大全』(1996年)
イマニュエル・ウォーラーステイン、グルベンキアン委員会『社会科学をひらく』(1996年)
ヴァルター・ルグレ『アンゲロプロス 沈黙のパルチザン』(1996年)
ウディ・レヴィ『ナバテア文明』(1996年)
エドワード・ウィリアム・ソジャ『第三空間 ポストモダンの空間論的転回』(1996年)
エドワード・オズボーン・ウィルソン『生き物たちの神秘生活』(1996年)
エドワード・S・リード『アフォーダンスの心理学 生態心理学への道』(1996年)
エドワード・S・リード『経験のための戦い 情報の生態学から社会哲学へ』(1996年)
オラフ・マルテンス『FROSTY FIRE』(1996年)
オーラ・ローゼンバーグ『Head Shots』(1996年)
ガブリエル・バンサン『熱気球』(1996年)
キャサリンデューン『写真集デスシーン 死体のある風景』(1996年)
クシシュトフ・キシェロフスキ『キシェロフスキの世界』(1996年)
クリスティン・ダール『北欧式 眠くならない数学の本』(1996年)
クリスティン・ロス『もっと速く、もっときれいに 脱植民地化とフランス文化の再編成』(1996年)
クロード・レヴィ=ストロースサンパウロへのサウダージ』(1996年)
ケヴィン・マクダーマット、ジェレミ・アグニュー『コミンテルン史 レーニンからスターリンへ』(1996年)
ケン・ウィルバー『万物の歴史』(1996年)
コリン・ウィルソンアトランティスの遺産』(1996年)
コリン・ウィルソン『世界遺跡地図』(1996年)
コルネリュウス・カストリアディス『意味を見失った時代』(1996年)
サイモン・ルベイ『クィア・サイエンス 同性愛をめぐる科学言説の変遷』(1996年)
サスキア・サッセン『グローバリゼーションの時代 国家主権のゆくえ』(1996年)
サミュエル・R・ディレイニー『長めの考察』(1996年)
J・G・バラードJ・G・バラード千年王国ユーザーズガイド』(1996年)
ジェフ・グッデル『ハッカーを撃て!』(1996年)
ジミー・バーンズ『ディエゴ・マラドーナの真実』(1996年)
ジャック・デリダアポリア 死す「真理の諸限界」を“で/相”待-期する』(1996年)
ジャック・デリダ精神分析の抵抗 フロイトラカンフーコー』(1996年)
ジャック・デリダ『たった一つの、私のものではない言葉』(1996年)
ジャック・デリダ『テレビのエコーグラフィー デリダ〈哲学〉を語る』(1996年)
ジャック・ランシエールマラルメ セイレーンの政治学』(1996年)
ジャン=リュック・ナンシー『複数にして単数の存在』(1996年)
シュメル・ノア・アイゼンシュタット『日本比較文明論的考察』(1996年)
Joel Sternfeld『ON THE SITE』(1996年)
ジョージ・L・モッセ『男のイメージ 男性性の創造と近代社会』(1996年)
ジョナサン・グリーン『辞書の世界史』(1996年)
ジョナス・メカス『森の中で』(1996年)
ジョルジョ・アガンベン『イタリア的カテゴリー』(1996年)
ジョン・クラカワー『荒野へ』(1996年)
ジョン・グレイ『バーリンの政治哲学入門』(1996年)
ジョン・サザーランド『ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎』(1996年)
スラヴォイ・ジジェク『仮想化しきれない残余』(1996年)
セルジュ・ル・ドラン、フィリップ・ロゼ『世界ハッカー犯罪白書』(1996年)
ソフィー・D・コウ、マイケル・D・コウ『チョコレートの歴史』(1996年)
ダニエル・ダヤーン、エリユ・カッツ『メディア・イベント 歴史をつくるメディア・セレモニー』(1996年)
ダニエル・デネット『「志向姿勢」の哲学 人は人の行動を読めるのか?』(1996年)
ダニエル・デネットダーウィンの危険な思想』(1996年)
デイヴィッド・J・チャーマーズ『意識する心 脳と精神の根本理論を求めて』(1996年)
デイヴィド・ソベル『足もとの自然から始めよう 子どもを自然嫌いにしたくない親と教師のために』(1996年)
ティム・ジャクソン『ヴァージン・キング 総師ブランソンの帝王学』(1996年)
デニス・ロッドマンデニス・ロッドマンのワルがままに』(1996年)
テリー・イーグルトン『ポストモダニズムの幻想』(1996年)
ドナルド・L・マギン『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』(1996年)
トマス・ホーヴィング『にせもの美術史 鑑定家はいかにして贋作を見破ったか(メトロポリタン美術館長と贋作者たちの頭脳戦)』(1996年)
トム・ダーディス『ときにはハリウッドの陽を浴びて』(1996年)
バーンド・ハインリッチ『熱血昆虫記 虫たちの生き残り作戦』(1996年)
ピーター・コン『パール・バック伝 この大地から差別をなくすために』(1996年)
フランク・マコート『アンジェラの灰』(1996年)
ブルース・ギルデン『Haiti』(1996年)
ポール・ヴィリリオ『電脳世界 最悪のシナリオへの対応』(1996年)
マイケル・サンデル『民主政の不満 公共哲学を求めるアメリカ 手続き的共和国の憲法』(1996年)
マーサ・ヌスバウム、他『国を愛するということ 愛国主義の限界をめぐる論争』(1996年)
マリオ・ラモ『こわがりのちびかいじゅう』(1996年)
マルタン・モネスティエ『図説 動物兵士全書』(1996年)
ミシェル・ウエルベック『闘いの意味』(1996年)
メアリー・べス、M・ノートン、他『アメリカの歴史』(1996年)
モーリス・ブランショ『友愛のために』(1996年)
モーリス・ブランショ『問われる知識人 ある省察の覚書』(1996年)
ヤニス・クセナキス『音楽と独創』(1996年)
ヤニス・クセナキスクセナキスとの会話』(1996年)
ユハニ・パッラスマー『建築と触覚 空間と五感をめぐる哲学』(1996年)
ユルゲン・ハーバーマス『他者の受容 多文化社会の政治理論に関する研究』(1996年)
ロミ、ジャン・フェクサス『でぶ大全』(1996年)
スチュアート・ホール、ポール・ドゥ・ゲイ(編)『カルチュラル・アイデンティティの諸問題 誰がアイデンティティを必要とするのか?』(1996年)
フリッツェ・マルグル(編)『ギュンター・グラスの40年 仕事場からの報告』(1996年)
アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』(1997年)
アラン・バディウドゥルーズ 存在の喧騒』(1997年)
アラン・バディウ『聖パウロ 普遍主義の基礎』(1997年)
アンディ・ウォーホル『LOVE,LOVE,LOVE』(1997年)
アンディ・クラーク『現れる存在 脳と身体と世界の再統合』(1997年)
アンドリュー・モートン『完全版 ダイアナ妃の真実』(1997年)
イヴ=アラン・ボワ、ロザリンド・E・クラウス『アンフォルム 無形なものの事典』(1997年)
W・G・ゼーバルト『空襲と文学』(1997年)
ウィルフリド・セラーズ、ロバート・ブランダム『経験論と心の哲学』(1997年)
ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』(1997年)
ウンベルト・エーコ『カントとカモノハシ』(1997年)
エドワード・S・リード『魂から心へ 心理学の誕生』(1997年)
オリバー・サックス『色のない島へ』(1997年)
カエターノ・ヴェローゾ『熱帯の真実』(1997年)
カール・セーガン『悪霊にさいなまれる世界』(1997年)
ギリアン・ヘルフゴット、アリッサ・タンスカヤ『すべては愛に 天才ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの生涯』(1997年)
クラウディオ・エディンガー『Madness』(1997年)
グリーン・ナンシー『多民族の国アメリカ』(1997年)
クレイトン・M・クリステンセン『イノベーションのジレンマ 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』(1997年)
ゲイリー・P・リュープ『男色の日本史 なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか』(1997年)
ケン・ウィルバー『統合的心理学への道』(1997年)
コルネリュウス・カストリアディス『したこととすべきこと』(1997年)
サラ・M・エヴァンス『アメリカの女性の歴史 自由のために生まれて』(1997年)
サイモン・シンフェルマーの最終定理』(1997年)
ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』(1997年)
ジェームズ・プロセック『ジョー アンド ミー 釣りと友情の日々』(1997年)
ジェラルド・カプラン『ルワンダの防ぎ得た大量虐殺』(1997年)
G・B・マシューズ『哲学と子ども』(1997年)
ジャック・デリダ『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』(1997年)
ジャック・デリダ『万国の世界市民たち、もう一努力だ』(1997年)
ジャック・デリダ『歓待について』(1997年)
ジャック・ランシエール『歴史の上での停止』(1997年)
ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』(1997年)
ジャレド・ダイアモンド『セックスはなぜ楽しいか(人間の性はなぜ奇妙に進化したのか)』(1997年)
ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ『歌の祭り』(1997年)
ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ『雲の人びと』(1997年)
ジャン=リュック・ナンシーヘーゲル否定的なものの不安』(1997年)
ジョージ・H・セージ『アメリカスポーツと社会』(1997年)
ジョージ・スタイナー『G・スタイナー自伝』(1997年)
ジョナス・メカス『どこにもないところからの手紙』(1997年)
ジョナス・メカス『フローズン・フィルム・フレームズ 静止した映画』(1997年)
ジョン・クラカワー『空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』(1997年)
ジョン・K・ノイズ『マゾヒズムの発明』(1997年)
ジョン・サザーランド『ジェイン・エアは幸せになれるか?』(1997年)
ジョン・マンダー・ロス『サドマズヒズムの心理学』(1997年)
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『チェルノブイリの祈り』(1997年)
スクラグス・チャールズ『黒人文学と見えない都市』(1997年)
ティーヴン・F・トマイチク『アメリカの対テロ部隊 その組織・装備・戦術』(1997年)
スティーブン・ピンカー『心の仕組み 人間関係にどう関わるか』(1997年)
スラヴォイ・ジジェク『幻想の感染』(1997年)
ダニエル・デネット『心はどこにあるのか?』(1997年)
チャールズ・シューマンシューマンズ バー ブック』(1997年)
デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(1997年)
トマス・ネーゲル『理性の権利』(1997年)
ナオミ・ウルフ『性体験』(1997年)
ニクラス・ルーマン『社会の社会』(1997年)
ニコラス・フレイザー、マリサ・ナヴァーロ『聖女伝説 エビータ』(1997年)
ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー『数の悪魔 算数・数学が楽しくなる12夜』(1997年)
ピーター・レイノルズ『ほしをめざして』(1997年)
フランス・ドゥ・ヴァール『ヒトに最も近い類人猿ボノボ』(1997年)
プーラン・デヴィ『女盗賊プーラン』(1997年)
ポール・リクールイデオロギーユートピア 社会的想像力をめぐる講義』(1997年)
ポール・リクール『愛と正義』(1997年)
マイク・ダッシュボーダーランド』(1997年)
マイケル・ウォルツァー『寛容について』(1997年)
マイケル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか?』(1997年)
マルタン・モネスティエ『図説 排泄全書』(1997年)
ミッチ・アルボム『モリー先生との火曜日』(1997年)
リチャード・ローズ『死の病原体プリオン』(1997年)
ロバート・M・サポルスキー『ヒトはなぜのぞきたがるのか 行動生物学者が見た人間世界』(1997年)
ロバート・マッキー『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』(1997年)
フリーマン・ダイソン『科学の未来を語る(科学の未来)』(1997年、1998年)
アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』(1998年)
アラン・アルノーピエール・クロソウスキー』(1998年)
アラン・コルバン『記録を残さなかった男の歴史 ある木靴職人の世界1798-1876』(1998年)
アレクサンドル・カマス『パリジャンのレシピ』(1998年)
アレクサンドル・ソルジェニーツィン『廃墟のなかのロシア』(1998年)
アンソニー・ギデンズ第三の道 効率と公正の新たな同盟』(1998年)
アンソニー・ギデンズ、クリストファー・ピアスン『ギデンズとの対話 いまの時代を読み解く』(1998年)
イアン・カーショー『ヒトラー 上 1889-1936 傲慢』(1998年)
イマニュエル・ウォーラーステイン『ユートピスティクス 21世紀の歴史的選択』(1998年)
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(1998年)
ウィリアム・スタイグ『ピッツァぼうや』(1998年)
ヴィンセント・N・パリーロ『多様の国アメリカ』(1998年)
ウンベルト・エーコセレンディピティ 言語と愚行』(1998年)
エドマンド・ウィルソン『愛国の血糊/南北戦争の記録とアメリカの精神』(1998年)
エドワード・オズボーン・ウィルソン『知の挑戦』(1998年)
エドワード・ルトワック『ターボ資本主義 市場経済の光と闇』(1998年)
エマニュエル・トッド『経済幻想』(1998年)
オルハン・パムク『他の色』(1998年)
Chris Nickson『Mariah Carey Revisited:The Unauthorized Biography』(1998年)
ケン・ウィルバー『科学と宗教の統合』(1998年)
コリン・ウィルソン『「死体の庭」あるいは「恐怖の館」殺人事件』(1998年)
コリン・ウィルソン『わが青春 わが読書』(1998年)
サイモン・ウィンチェスター『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』(1998年)
サスキア・サッセン『グローバル空間の政治経済学 都市・移民・情報化』(1998年)
ジェイミー・ドーラン、ピアーズ・ピゾニー『ガガーリン』(1998年)
ジェイムズ・ウィンブラント『歯痛の文化史 古代エジプトからハリウッドまで』(1998年)
ジェニファー・アームストロング『そして、奇跡は起こった! エンデュアランス号漂流記 シャクルトン隊、全員生還』(1998年)
ジグムント・バウマン『新しい貧困 労働、消費主義、ニュープア』(1998年)
ジグムント・バウマン『グローバリゼーション』(1998年)
ジャクリーン・ブリッグズ・マーティン(作)/メアリー・アゼアリアン(絵)『雪の写真家ベントレー』(1998年)
ジャック・デリダ『滞留』(1998年)
ジャック・デリダ『触覚、 ジャン=リュック・ナンシーに触れる』(1998年)
ジャック・ランシエール『言葉の肉 エクリチュールの政治』(1998年)
ジャック・ランシエール『無言の発言』(1998年)
シャルロット・ペリアン『シャルロット・ペリアン自伝』(1998年)
ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』(1998年)
ジュリア・クリステヴァ、カトリーヌ・クレマン『〈母〉の根源を求めて 女性と性なるもの』(1998年)
ジョエル=ピーター・ウィトキン『The Bone House』(1998年)
ジョセフ・シュガーマン『全米No.1のセールス・ライターが教える10倍売る人の文章術』(1998年)
ジョルジョ・アガンベンアウシュビッツの残りのもの』(1998年)
ジョン・E・マック『アブダクション 宇宙に連れ去られた13人』(1998年)
ジョン・グレイ『グローバリズムという妄想』(1998年)
Sean Saxton、Robert Flynn Johnson、Alice Waters『THE PLANT KINGDOMS OF CHARLES JONES』(1998年)
ジョン・ブロックマン『33人のサイバーエリート』(1998年)
スラヴォイ・ジジェク『いまだ妖怪は徘徊している!』(1998年)
Taschen『Erotic Art』(1998年)
タハール・ベン=ジェルーン『娘に語る人種差別』(1998年)
チューネル・M.タクサミ、ワレーリー・D.コーサレフ『アイヌ民族の歴史と文化』(1998年)
デイヴィッド・B・モリス『痛みの文化史』(1998年)
デヴィッド・ケレケス、デヴィッド・スレイター『キリング・フォー・カルチャー 殺しの映像』(1998年)
デヴィッド・ヤロップ『盗まれたワールドカップ』(1998年)
ドゥルシラ・コーネル『自由のハートで』(1998年)
トミー・ウンゲラー『フリックス』(1998年)
ドン・タプスコット『デジタル・チルドレン』(1998年)
ニコラス・クック『音楽とは ニコラス・クックが語る5つの視点』(1998年)
パトリシア・ポラッコ『ありがとう、フォルカーせんせい』(1998年)
パトリック・ミニョン『サッカーの情念 サポーターとフーリガン』(1998年)
ハワード・スーンズ『ブコウスキー伝 飲んで書いて愛して』(1998年)
ピエール・ブルデュー『男性支配』(1998年)
ピエール・ブーレーズアンドレ・シェフネール『ブーレーズ―シェフネール書簡集1954-1970 シェーンベルクストラヴィンスキードビュッシーを語る』(1998年)
ピーター・ブルックスミス『政府ファイルUFO全事件 機密文書が明かす「空飛ぶ円盤」50年史』(1998年)
フィリップ・ラクー=ラバルト『メタフラシス ヘルダーリンの演劇』(1998年)
フレドリック・ジェイムスン『時間の種子 ポストモダンと冷戦以後のユートピア』(1998年)
フレドリック・ジェイムスン『カルチュラル・ターン』(1998年)
ベネディクト・アンダーソン『比較の亡霊 ナショナリズム・東南アジア・世界』(1998年)
ヘルマン・ヘッセ『愛することができる人は幸せだ』(1998年)
ポール・ヴィリリオ『情報化爆弾』(1998年)
マルタン・モネスティエ『図説 児童虐待全書』(1998年)
ヤン・ソーデック『Jan Saudek』(1998年)
ラリー・カーツェンスタイン『バイアグラ 驚異の新薬』(1998年)
リシャルト・カプシチンスキ『黒檀』(1998年)
リチャード・ドーキンス『虹の解体 いかにして科学は驚異への扉を開いたか』(1998年)
リチャード・ローティアメリカ未完のプロジェクト 20世紀アメリカにおける左翼思想』(1998年)
ルディ・カウスブルック『西欧の植民地喪失と日本 オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所』(1998年)
ルネ・シェレールノマドユートピア 2002年を待ちながら』(1998年)
ルネ・シェレールドゥルーズへのまなざし』(1998年)
レイチェル・P・メインズ『ヴァイブレーターの文化史 セクシュアリティ・西洋医学理学療法』(1998年)
ロザリンド・E・クラウス『ピカソ論』(1998年)
ロッテルダム・クンストハル美術館『描かれた花 ゴッホからモンドリアン』(1998年)
ローレンス・ヴェヌティ『翻訳のスキャンダル 差異の倫理にむけて』(1998年)
周慶豊(編)『中国式愛のかけひき』(1998年)
マーサ・C・ヌスバウム、キャス・R・サンスタイン(編)『クローン、是か非か』(1998年)
ラニ・シン(編)『ハリー・スミスは語る 音楽/映画/人類学/魔術』(1998年)
アマルティア・セン『自由と経済開発』(1999年)
アマルティア・セン『貧困の克服』(1999年)
アマルティア・センアイデンティティに先行する理性』(1999年)
アリー・リン・レイ(文)/バーバラ・クーニー(絵)『満月をまって』(1999年)
アル・ライズ、ローラ・ライズ『ブランディング22の法則』(1999年)
アンソニー・ギデンズ『暴走する世界 グローバリゼーションは何をどう変えるのか』(1999年)
アントニオ・ネグリ『未来への帰還 ポスト資本主義への道』(1999年)
アントニオ・ネグリ『構成的権力 近代のオルタナティブ』(1999年)
アンリ・カルティエ=ブレッソン『こころの眼 写真をめぐるエセー』(1999年)
イヴァン・イリイチ『生きる思想 反=教育/技術/生命』(1999年)
Istvan Banyai『ZOOM』(1999年)
イマニュエル・ウォーラーステイン『新しい学 21世紀の脱=社会科学』(1999年)
イマニュエル・ウォーラーステイン網野善彦、他『「地中海」を読む』(1999年)
Wybe Kuitert、Arie Peterse『JAPANESE FLOWERING CHERRIES』(1999年)
エドガー・H・シャイン『プロセス・コンサルテーション 援助関係を築くこと』(1999年)
エマニュエル・トッド『世界の多様性 家族構造と近代性』(1999年)
エリック・ダニング『問題としてのスポーツ サッカー・暴力・文明化』(1999年)
クレイグ・マクディーン『I Love Fast Cars』(1999年)
グレッグ・ラフリン、 フレッドアダムズ『宇宙のエンドゲーム』(1999年)
ケネス・ポメランツ、スティーヴン・トピック『グローバル経済の誕生 貿易が作り変えたこの世界』(1999年)
ケン・ウィルバー『ワン・テイスト』(1999年)
コリン・ウィルソン『エイリアンの夜明け』(1999年)
コリン・マッギン『意識の<神秘>は解明できるか』(1999年)
シェア・ハイト『なぜ女は女が嫌いなのか もっと上手につきあう知恵』(1999年)
ジェラルド・L・カーティス『永田町政治の興亡』(1999年)
ジグムント・バウマン『政治の発見』(1999年)
ジャック・デリダ『言葉にのって』(1999年)
ジャン・ボードリヤール『不可能な交換』(1999年)
ジョージ・スタイナー『言葉への情熱』(1999年)
ジョシュア・ペイビン、デビット・ホーゲニクト『この方法で生きのびろ!』(1999年)
Josef Koudelka『chaos』(1999年)
ジョック・ヤング『排除型社会 後期近代における犯罪・雇用・差異』(1999年)
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人』(1999年)
ショーン・タン『ロスト・シング』(1999年)
ジョン・R・バック『神経筋疾患の評価とマネジメントガイド』(1999年)
ジョン・レノン『リアル・ラヴ ショーンのために描いた絵』(1999年)
ジル・クレマン『惑星という庭』(1999年)
スラヴォイ・ジジェク『厄介なる主体 政治的存在論の空虚な中心』(1999年)
ソフィ・カル『本当の話』(1999年)
ダニエル・キイス『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』(1999年)
デイヴィッド・アイク『大いなる秘密』(1999年)
デイヴィッド・ウィーズナー『セクター7』(1999年)
デイヴィッド・ハルバースタム『ジョーダン』(1999年)
ティエリ・グルンステン『マンガのシステム』(1999年)
ティエリー・ルゲー『F(口でする)の性愛学』(1999年)
ティム・バーナーズ=リー『Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか』(1999年)
デヴィッド・フリードマン『日常生活を経済学する』(1999年)
テリー・イーグルトン『学者と反逆者 19世紀アイルランド』(1999年)
テリー・イーグルトン『とびきり可笑しなアイルランド百科』(1999年)
トミ・ウンゲラー『オットー 戦火をくぐったテディベア』(1999年)
ドランヴァロ・メルキゼデク『フラワー・オブ・ライフ 古代神聖幾何学の秘密』(1999年)
ニール・D・ヒックス『ハリウッド脚本術』(1999年)
バリー・グラスナー『アメリカは恐怖に踊る』(1999年)
ハル・ビュエル『ピュリッツァー賞 受賞写真 全記録』(1999年)
ピエール・ダルモン『人と細菌 17‐20世紀』(1999年)
ピーター・ジェイムズ、ニック・ソープ『古代文明の謎はどこまで解けたか』(1999年)
ピート・ハミル『ザ・ヴォイス -フランク・シナトラの人生』(1999年)
ヒラリー・パトナム『心・身体・世界 三つ撚りの綱/自然な実在論』(1999年)
ビル・ブルースター、フランク・ブロートン『そして、みんなクレイジーになっていく』(1999年)
フランシス・フクヤマ『「大崩壊」の時代 人間の本質と社会秩序の再構築』(1999年)
フリーマン・ダイソン『ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット 未来社会と科学技術21世紀大予測』(1999年)
ブルーノ・ラトゥール『科学論の実在 パンドラの希望』(1999年)
ボブ・ウッドワード『権力の失墜 大統領たちの危機管理』(1999年)
ホーマー・H・ヒッカム『ロケットボーイズ』(1999年)
ボリス・ミハイロフ『Case History』(1999年)
ポール・リクール『レクチュール 政治的なものをめぐって』(1999年)
マルタン・モネスティエ『図説 ハエ全書』(1999年)
ミシェル・ウエルベックルネサンス』(1999年)
ヤン・エルスター『合理性を圧倒する感情』(1999年)
ユルゲン・ハーバーマス『真理と正当化 哲学論文集』(1999年)
ユルゲン・ハーバーマス『法と正義のディスクルス ハーバーマス京都講演集』(1999年)
ヨゼフ・クーデルカ『chaos』(1999年)
リチャード・ブローティガンエドナ・ウェブスターへの贈り物 故郷に残されていた未発表作品』(1999年)
レイ・カーツワイル『スピリチュアル・マシーン コンピューターに魂が宿るとき』(1999年)
ロザリンド・E・クラウス『ピカソ論』(1999年)
ロザリンド・E・クラウス『独身者たち』(1999年)
ロジャー・シルバーストーン『なぜメディア研究か 経験・テクスト・他者』(1999年)
ロバート・S・マクナマラ『果てしなき論争 ベトナム戦争の悲劇を繰り返さないために』(1999年)
ロバート・ホワイティング『日出づる国の奴隷野球 憎まれた代理人団野村の闘い』(1999年)
ロラン・バルト『声のきめ インタビュー集1962‐1980』(1999年)
エッカート・ノイマン(編)『バウハウスの人々 回想と告白』(1999年)
ジャスティン・バーリー(編)『遺伝子革命と人権 クローン技術とどうつきあっていくか』(1999年)
ジョン・ソルト(編)『ススメ ススメ タバコ ノ ススメ』(1999年)
ヘルムート・キーゼル(編)『ユンガー=シュミット往復書簡 1930‐1983』(1999年)
マイケル・マーモット、リチャード・ウィルキンソン(編)『21世紀の健康づくり10の提言 社会環境と健康問題』(1999年)
リチャード・イングリッシュ、マイケル・ケニー(編)『経済衰退の歴史学 イギリス衰退論争の諸相』(1999年)
トマス・フリードマン『レクサスとオリーブの木 グローバリゼーションの正体』(1999年、2000年)