2013年のあけましておめでとうございます。

 実はあまり、おめでたくない。
 新年早々、右目に異物感。どうやら、霰粒腫(さんりゅうしゅ)というものらしい。
 霰粒腫(さんりゅうしゅ)=「まぶたの中に小さな球状のしこりができるのが霰粒腫です。このしこりは、まぶたの内側の皮脂腺に、分泌物などが溜まったものです。しこりは、触ってみるとまぶたの中でグリグリと動き異物感がありますが、通常痛みはあまりなく、かゆみもたまに感じる程度です。さらに細菌感染し、しこりの周囲に炎症を起こすと赤く腫れ、痛みが生じます。」とのこと(http://takeda-kenko.jp/ 武田薬品工業株式会社 タケダ健康サイト より)。
 今年も、あまり良くない年になるのだろうか。
 そう思っておいた方が良い。ポジティヴに生きて、限界が来たときは、立ち直る術なんてないもの。

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 「およそ人間の生命などは、ある瞬間に大きな波のなかできらりと光る泡でしかないこと、しかしそれを笑うことのできる泡であること」
(フィリップ・ソレルス、デイヴィッド・ヘイマン『ニューヨークの啓示』より)

 「ひとつは笑いって幅があるじゃない。つまりバカだから笑ってるやつというのも確かにいる。逆に笑えてるから賢いやつもいる」
岡野宏文豊崎由美『読まずに小説書けますか 作家になるための必読ガイド』より)


 知識や知性があれば笑えるものを笑えずにいるというのは、たしかにバカだからだと思う。
 では、逆に、レベルの低いものを笑えないことは、イコール賢いと言えるのかどうか。
 たとえば、ダウンタウン全盛期のコントは笑えるが、なおかつ飲み会でのひねりの欠片も発言するタイミングの工夫も何もないダジャレや下ネタには愛想笑いさえできない人というのは、どう捉えるべきなんだろう。
 ……まあ、上記の人というのは、私のことなのだけど、だからこそ心の奥では、それがバカでないことの証であってほしいと思いながら、冷静に考えれば、そんな自分に都合の良いように世界の規則は成り立っていないとも思うわけで、実はけっこう長年考えつづけてる。
 もし、仮に、私のようなパターンが賢さの象徴だったとして、では、両方心の底から笑えるという人はどうなるのか、とも思う。もっと賢い人なのか、二番目に賢い人なのか、はたまた一番バカなのか。いや、賢い笑いを理解できているのだから、バカではないと思うが…。
 ただ一つ言えるのは、飲み会等でのまったく面白くない事柄に、愛想笑いさえできない私のような人間は、敬遠されがちだということだ。

ニューヨークの啓示―デイヴィッド・ヘイマンとの対話

ニューヨークの啓示―デイヴィッド・ヘイマンとの対話

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 それでは、今年も、何卒、よろしく、お願いいたします。