2012年が終わるまでに書き残しておきたいことをだらだらと

 関東から地元・北海道に戻ってきて、一年が経ったわけだが、なんだか色々と環境を整えるのに一年を費やしてしまった気もする。かといって、あっという間に一年が過ぎたかというと、そうでもなく、特に8月以降が諸々の理由で長く感じて辛かった。誕生日のことは思い出したくないのに、嫌な記憶ほど強くこびりついて消えない。「楽しいことがあれば、嫌なことなんて忘れちゃうよ」と言った奴がいたが、大嘘だと思う。もしくはそいつの脳がオメデタイだけだと思う。せめて、「嫌な思いが多いほど、ちょっとした幸せを感じられるようになる」的なことを言ってくれれば良かったのだ。
 
 何度か書いたが、気候的には、圧倒的に暮らしやすい。6年関東に住んだが、あの暑さと湿気に慣れることはなかった。ゴキブリも嫌いである。

新海誠のアニメ映画『秒速5センチメートル』の中で、ヒロインが「東京の蒸し暑さも懐かしく感じる」とか言っていたけど、あれも「そんなわけあるか!」と思う。あの映画自体は嫌いじゃないんだけど、あのセリフだけは解せない。

 だが、なにぶん田舎なもので、買い物が不便だ。そして、テレビの電波が悪すぎて、ほとんどの好きな番組/気になる番組が見られない。

 話し相手がいないのは、考えてみれば関東の時からそうだった。友達と言える人がいないわけではないが、自分から何かに誘うのは、なんだかあつかましい気もするし、誘われることは滅多にない。交流の頻度に、大きな変化はない。

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 今年は、血液型性格診断に関することで、嫌な思いをすることが多かった。いつまで、このくだらない話はのさばり続けるのだろう。

 私たちが「ちょっとくらい関係あるんじゃないか」と思う程度のことは、何年も前からいろんな人が思うことであって、それでいて、しっかりと科学的に「否定」されているということは、すなわちもう研究の対象にもなっていないようなことなのだ。「関係あるんじゃないか」と思う人は、何年も前からいて、ゆえに何年も前から色々研究はされたわけであり、そのうえでの「否定」なのだから。

 映画の話になるけど、山下敦弘横浜聡子吉田恵輔といったゼロ年代〜2010年代の若手作家の作品に対し、上の世代からは「悪しきミニマリズム」的な批判が結構あった。日常、自分の半径5メートル圏内の狭い世界の話だと。でも、私は映画学校時代、「上の世代」のある講師が、血液型性格診断にどっぷり嵌っているのを目の当たりにしたことがある。若手の作品を「半径5メートル圏内の狭い世界」として批判しながら、その講師の現実における他人を判断する材料は、確証バイアスまみれの狭い世界で培われたものなのだ。

 自分の経験だけで、世界全体を分別することが許されるなら、私だって「血液型性格診断を信奉するO型の人間はクズばかり」だとか「スポーツ好きは思慮の浅い大バカ野郎がほとんど」だとか「四角めの輪郭の顔に眼鏡をかけていて、中年太りの気があるおっさんはゴミクズ野郎」だと言い切れてしまう(実際、私が出会ったそれらの人物はそうだったのだから)。でも、私は「そうではない、それらのタイプの人々」を探してはいないし、探してはいないけど、「そうではない、それらのタイプの人々」がいることは、理解はしているので、言いきったりはしない。たまたま、私の狭い世界がそうであっただけで、それがイコール世界の規則ではないことはわかっている。

 なのに、こうやって血液型性格診断の愚かさを説いたりすると、「堅いこと言いやがる」だの「空気読め」だの言われ、攻撃されたりする。遊び程度の話……その遊び程度の話のせいで、血液型を理由に面接で落とされた人もいる。特定の血液型への深刻なバッシングが広まった国もある。

日本発 映画ゼロ世代―新しいJムーヴィーの読み方 (Cine Lesson (別冊))

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 バカの一つ覚えのように「拝金主義は理解できない/下劣だ」などと言っていた人が、なぜそう考えるかの理由に「祖父の残した遺産で不自由なく暮らしていたから」と書いていて、心底呆れた。マリー・アントワネットのあの言葉より酷い。

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 今朝、『ボクらの時代』で、松本潤瑛太野田秀樹が、「理不尽は経験しておいた方が良い」というような話をしていた。

 こういった話は色んなところで聞くけれど、理不尽な個人の存在を認めることと社会の構造/組織の構造の理不尽を野放しにすることとは別の問題だと思うのだが、そういう方向に話が向くのはあまりみない。

 私は、「理不尽な個人」の存在は認めていいと思うし、そういう人間が存在することは早めに知っておいていいと思うけど、社会や組織の構造レベルの理不尽は徹底して除去すべきだと思う。そして、理不尽な個人の存在自体は認めるけど、そういう人間に権力を与えてはいけないと思う。

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 それでは、残りわずかな2012年ですが、世界に気をつけて。