やっぱり非敏感撲滅運動促進委員会は必要ではないかと……

 選ぶべきは、議論のまな板にのせてくれる人、そして、あらゆる可能性を考えられる人かな。

 桜宮高校の問題で、バスケットボール部とバレーボール部の無期限活動停止、そして橋下徹市長が体育系2科の入試中止を市教委に要請したことに関し、スポーツ大嫌い、体育会系大嫌いな私は、もういっそ体育会系部活なんてすべて滅んでしまえばいいのにとさえ思ってしまうのだけど(スポーツ/体育会系というものへの私の負のバイアスの根深さよ)、「体罰に苦しんでいる生徒に対して、「お前がチクると部がなくなるから我慢して黙ってろ。」という圧力が各方面からかかることになるな。他の部員からも当の教師からも。その結果どうなるかも想像できないのか」という呟きを見て、それは確かにそうだとも思った。

 神経質で考え過ぎなくらい、あらゆる可能性に関しては考えておいた方が良いのだろう。特に、上に立つ人間は。そもそも、今回の事件だって、考え過ぎなくらい考えなかったから起きたことだろう。

 では、ちょっと、私は完全否定したいけど、あえて(程度はあるにせよ)体罰は必要だという方向でも考えてみよう。

 そこでまず気になるのは「殴られた痛みはすぐに忘れる」という意見だ。

 確かに暴言等による心の痛みは根深いが、だからといって体の痛みを誰もがすぐに忘れるだろうか? だいたいすぐに体の痛みは忘れるなら行き過ぎた体罰による恐怖支配すらさほど起きない事にならないか? 体罰がある程度必要だったとしても、行き過ぎた体罰っていうのは「殴られた痛みはすぐに忘れる」と思い込んでる鈍感な人間が引き起こしてるんじゃないかと思う。

 麻痺してるだけの場合もあるが、それはちっとも良いことではない。じゃないと痛みや暴力への感覚の麻痺を表現したロメロの『ゾンビ』がホラー映画として受け止められる事もなかっただろう。

 もちろん、本当に殴られるより言葉の方がきついと感じる人もいるだろうし、どんな酷い身体的暴力よりも痛い言葉や仕打ちを行う輩だっている。

 程度問題、グレーゾーンというのは、どうしたって生まれてくるが、身体的/心理的問わず、体罰やいじめの問題に関しては、ブラックゾーンは多めにとる方向で考えた方が良いと思う。