あなたの気持ちはもうたくさん

 美月雨竜氏は「お酌」という制度の存在意義を理解していない。というか否定している。

 よって、飲み会なるものに参加しなくてはならないことになって、そこにどれだけ尊敬する人がお見えになっていても、その人の杯に自ら「いやあ、どうもどうも」などとすり寄っていってお酌をすることはない。失礼に思われることがあるとわかっていても、決して行わない。美月雨竜氏は「自分がやられたら嫌なことは、他人にはしない」という親の教えを、27歳になろうとする今もしっかり守っているからである。

 ただ、厄介なことに、美月雨竜氏がやられたら嫌なことが、多くの他人にとって、別に嫌ではない、どころかむしろ嬉しいことである場合が結構あるらしい。そんな事実に直面するたびに、美月雨竜氏は「常識」とか「多様性」とか、そんなことについて考え、そして大抵落ち込む。

 「お酌」の存在意義を否定しているのは、酒が嫌いだからということもあるが、酒以外の飲み物であっても、他人に自分の杯に飲み物を注がれるというのは、あまり良い気持ちはしない(もっとも、それゆえに、「お酌」というのは、相互の信頼関係を象徴する行為ということなのだろうけど)。

 いや、信頼関係と言うのなら、注がれる側が注ぐ側を信頼しているかどうかしか測れないはずで(だからこそ「俺の酒が飲めないのか」という言葉が生まれたのだろう。大嫌いな言葉だけど)、お酌をしなければいけないという理由がやっぱりわからない。信頼関係の押し売りみたいではないか。

 ようするに、気持ちの押し売りというやつが嫌いなのだろう。

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呟き散らかしたこと

 
 塗り絵が小さい頃から嫌いだったんだが、たぶんいまだにプラモデルの魅力が理解できないのと似た理由だと思う。