賞味期限は、その日からが腐敗期間。

 売れ残って廃棄される食品……などという大きな話ではなく、一家庭の中で、期限切れ食品を捨てるのが勿体ない、私は捨てない、なんて人がいるが、そもそも期限が切れてしまうような買い方/保存をしているからいけないわけで「勿体ない」なんていう価値観を出してきて、そいつの管理能力の低さを隠しているだけである。

 で、こういうことを、よりによって独り暮らしの人間が言ったりするから、食品管理に神経をすり減らしている身としては、腹立たしくなったりする。まず、「捨てるのが勿体ない」ようなものが生まれてくる生活ぶりを改めた方が良いと思う。生産者やメーカーは、美味しく食べてもらうために、色々と知恵を絞っているのだから、美味しく頂ける間に食べるのが礼儀ってものじゃないかと。

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 呟き散らかしたこと



 あー、北村昌士みたいな姿になりたい!

 好きな人ができたとしまして、又は恋愛的な意味でなくとも才能等の面で憧れの人がいたとしまして、するとその相手は自分の中で美しく輝いて映るわけで、そんな相手の隣に立つとなると自分の今の姿は……と考えるわけでして、何が言いたいかというと「北村昌士みたいな姿になりたい!」



 「死んでも人生は終わらない」というのは、物語的/文学的な意味でのことだと思うのだが、遺灰になってもコントに出演したグレアム・チャップマンや追悼ライブで脳ミソを飾られたGGアリンなどの例を考えると、文字通りな人もいる。上記2名は笑いになるが、エビータの例はただただ悲惨。

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 「俺が死んだら、遺灰は真木よう子が通りそうな道に撒いてくれ。踏まれたい」という旨の発言をしたバカが知り合いにいます。

 海猫沢めろん先生が上記の私のバカな呟き(正確には私の知り合いのバカな発言)をRTしてくれたおかげで、世界に対する影響力が哀しいくらい低い私にしては珍しく、RT数が二桁になりました。幸い、呟きが広まることの弊害としての直接的罵倒等も来ておりません。記念に『左巻キ式ラストリゾート』を再読。



 「類まれな高貴な精神を持つ美月雨竜氏。浅く広く際限なく拡がる彼の向学心、好奇心は、確実に彼の健康、そして寿命を蝕んでいる。彼を憎む者は大いに喜ぶが良い。しかし、同時に大いに悔やむが良い。彼は決して退屈することはない!」(バーナーズ卿の墓碑銘を元にして、自らを鼓舞してみましたが、結局ほぼ自虐)



 みうらじゅんさんは、たぶん亡くなった時にメディアがニュースを作る為「どんな人だったっけ」と調べて、その時はじめて多くの人がその事の重大さに気づくのだと思う。

みうらじゅん対談集 正論。

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