『社会正義のつもりでデタラメドキュメンタリー映画の手伝いを続ける映画監督志望の女の一生』とか

 なんとなく“危険”な香りがしていたので、買ったまま未読のままにしていた渋谷直角さんの『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』を、最近になってようやく読んだ。私の嗅覚は正しかったようで、とんでもないホラーだった(あくまで、私のような嗜好・経歴の持ち主にとってのことではあるが)。

 自分がこの漫画のような人生を歩みつつある恐怖というのも勿論あるのだが、それ以上に知人たちの中には、自分自身のこととは違って客観的に眺めることができる分、かなりこの漫画に近い状態に映る者もいて、それが途轍もなく恐怖だ。

 あまりにマズい方向に向かっていそうな者とは、なるべく関わらないようにはしているのだが、Facebookを開くと、「友人の友人」あたりの動向もちらほら見え隠れしたりするので、今後は、ただでさえ居心地の悪かったFacebookがさらに恐ろしく感じられ、ログイン頻度も低下していきそうである。

 今の私は自分自身の痛々しさ(その責任が、私にあるのかないのか。責任があったとしてそれが大きいものなのか小さいものなのか、などは別として)で手一杯なので、基本的に他人の痛々しさに目を向ける余裕などないし、そういった痛々しさが描かれる創作物も、感心するものはたくさんあるが(実際、『カフェで〜』は、とても面白かった)、やっぱり好きにはなれない。なので、同じく未読のまま本棚にしまわれている渋谷さんの『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』を、いつ読み始めようか悩んでいる。

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