一緒にいると不幸になるって本当だったかも

 気分の悪くなる話な上に、けっこう日数も経過しており、故に、これから書こうと思っている話のきっかけとなった人物のツイートを調べ直す気力はまったくないため、いくらか不正確な点があるかもしれない。だが、吐きだしておきたいので、書き記しておく。

 全編が字幕、吹き替えなしの手話のみで描かれた映画『ザ・トライブ』の「音」(映画の中の音。手話のみで描かれているとはいえ、自然音などが全て消されているわけではない)に関する感想を目にしたらしい人が、ツイッターで「私は聴覚が無意味になる状態を知っているから、聴者が音にこだわる意味がわからない」というような旨の内容(もっと悪意を感じる言い方だった気もする)を呟いていた。

 私は、その呟き主を当時も今もフォローなどしていないので、たまたまリツイートされてきたものを目にしただけだ。呟きの内容からして、程度は分からないが、おそらく耳の不自由な方なのだろうけれど、それすらも詳しくは分からない。なにせ、あまりに不快な呟きだったので、そのアカウントが他にどんなことを呟いているか、あるいはプロフィールにどんなことを書いてあるのかを調べる気にならなかったからだ。

 私だって、もし聴覚障害者であれば、音のある生活を送れる聴者に対して妬ましいと思ったり、こちらへの配慮に欠ける社会を恨みたくもなるだろう。他者を怨むことにかけては、なかなか非凡な才能を持っているので、その憎悪の発露たるや、とんでもないことになっていたかもしれない。しかし、それはあくまで憎しみでしかないし、ぶつけるべきは、たとえば映画関係の話であれば、難聴者用の字幕付上映、およびDVDorブルーレイの字幕機能の充実に否定的な意見の持ち主に対してであって、ただ単に「音」にこだわっている人たちに対してではないだろう。

 そもそも、無意味になり得るのは、当たり前の話ではあるが聴覚だけではない。視覚も味覚も嗅覚も触覚も失われる可能性はある。極端なことを言えば、死んでしまえば(死後の世界を信じない限り)五感もなにもあったものではない。「無意味になり得るのだから、それにこだわる意味がわからない」なんて発言ができる意味が私にはわからない。そんな感覚の持ち主が、はたして聴覚障害者にとっても住みやすい世の中を作っていけるのだろうか。無用な争いばかり生みそうな気がしてならない。

 さて、このひとつの呟きだけで、絶対に関わらないようにしようと決めていた件の人物だが、つい最近、再び私のタイムラインにその姿を現した。あまりに印象が悪かったので、アイコンだけは脳にこびりついていたので、わかりたくもないのに、すぐにわかってしまった。今回は、「愛煙家は愛煙家しかいない密閉された個人空間で死神と踊って下さい。」(つい最近の話なので、この呟きは一字一句そのまま記せた)というものだった。一応、飲食店での全面禁煙(分煙を徹底すれば良いのではないかと思うのだが、まあ、基本的に全面禁煙になったら、いずれ喫煙者のための飲食店という商売も出来そうなので、この提案自体には、さほど抵抗は感じない)に関しての呟きのようなのだが、その話とはわざわざ分けて、件の呪いのような内容を呟いていた。ようは、「死ね」と言っているのである。マナーの悪い喫煙者のみを相手にしているのならまだしも、上記の通り、わざわざこの呟きだけを分けて、そして「愛煙家」と書いている。キース・リチャーズには、ぜひともこの呟き主が悔しがるほど長生きしてほしい。

 私も煙草は嫌いである。まあ、それ以上に車と酒が嫌いで、この2点に関しては、過去に色々と過激な憎悪をぶちまけてはいるのだけれど、さすがに「死ね」と言ったことはないはずだ。近しい発言が過去にあったのなら猛省したい。

 もっとも、繰り返しになるが、あまりに嫌な発言なので、今回も発言の前後関係などを調べたりはしていない。ひょっとしたら、私がここまで気分を害する必要のないものなのかもしれない。なので、私がこの呟き主の前後の発言やプロフィールを見ることすら嫌になるような呟きだけをリツイートしてきた人をフォローするのをやめ、タイムラインに僅かながらの平穏を取り戻すことに成功したのだった。

ザ・トライブ DVD

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