小さな子供を見ても辛くない人たち

 子供の声がうるさいかどうかという話ではない。子供の声に関して私は、うるさく感じはするが、子供がある程度うるさいのはしょうがないと諦めている立場である。だが、私が小さな子供を見て辛く感じるのは、単にうるさいからではない。うるさいというなら、車のエンジン音のほうがうるさい。

 小さな子供を見ると、嫌でも「自分が小さな子供だった頃」を思い出す。良い思い出は決して帰ってこないという辛さとして、嫌な思い出は今なお癒えぬ心の傷として。なので、小さな子供というのは、うるさかろうがおとなしかろうが、親との関係が良好そうであろうと、そうでなかろうと、すべて私には辛く感じる。

 子供を見ても「微笑ましい」以外の感情が湧かないというのは、私のように連鎖的に自身の辛さスイッチを押されないということなのだろうか。だとすれば、幼少期に辛いことがなかったのか、はたまた忘れているのか。楽しかった思い出も、ただ「楽しかった」というだけのことでしかないのだろうか。もう二度とやってこない思い出を呼び覚まされて気が沈んだり、いつかくるであろう親との別れなんてことを考えて悲しくなったりもしないのだろうか。

 小さな子供を見ても辛くない人たちというのが、子供はうるさいから邪魔だと怒る人たち以上に私は怖い。そういった人たちにとって、私が常に感じているような「辛さ」はおそらく無縁だろうし、だとすればこちらの事情などお構いなしに「子供って可愛いものだ」という単純な綺麗ごと(あえてそういう言い方をさせてもらう)を押し付けてきそうだからである。

飛ぶ教室 (岩波少年文庫)

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