小学5年生の頃の話だ。学校行事のキャンプで、夜に肝試しが行われた。児童たち勝手なやんちゃ行為ではなく、2人1組で決められたコースを進む、学校側で用意した毎年恒例のレクリエーションである。開始前の説明で、教師の1人が、私語を慎まないと呪われるだかお化けが出るだか、詳しい内容は忘れてしまったが、とにかくそういった内容の話をした。当然、5・6年生ともなれば、そんな話を信じる者もおらず、自分の順番が回ってくるまでの間、ほとんどのクラスメイトたちは勝手気ままにじゃれあったりしていて、私もそんな連中から輪に加わらないかと名前を呼ばれた。だが、私は黙ったままで、聞こえないふりをした。他の連中はそんな私に対し「あいつ、怖いのか?(ネット的な書き回しだと、ここに「www」がつく)」と蔑んだ。たしかに怖かったのだ。ただし、呪いでもお化けでもなく、教師に怒鳴られることが、だ。
その後、騒いでいた連中が教師からカミナリを落とされたかどうかは知らない。だが、肝試しの終了後に私を怖がりと馬鹿にする者はいなかったので、どうも見えないところで叱られていたのではないかと思う。だが、開始前に私のことを馬鹿にしていたのは事実で、私はそんなクラスメイトたちに大きく失望した。小学5年生にもなって、先程の教師の発言が「騒ぐな」という遠回しなメッセージであることに気づけないこと、そんなこともわからずに他人を馬鹿にすること。
さて、正月気分がようやく抜け始めた頃かと思われるこんな時期に、なぜ夏の風物詩である肝試しの話なんぞをしたのかというと、これは成人式に参加するかどうかという話につながっていくからである。今年は「はれのひ騒動」もあったせいか、例年よりも成人式の話題が多く耳に入ってきた。
私は成人式には参加していない。どころか、同窓会にも、母校の閉校式にも出席していない。私には、こういった行事が「無自覚な加害者の巣窟」に思えてしょうがないからだ。もちろん、全てがそうではないだろうが、成人式や同窓会に平気で参加できるということは、そこで自分を虐げる者などいないし、自分に復讐しようとする者もいないと判断できているからだろう(あるいは、それらの危険性を踏まえたうえでも参加しなければならない理由があるのかだ)。私には、とんでもなくおめでたい思考だと思えてしまう。
肝試しの話だけをもってしても、私は連中に馬鹿にされたことを今でも忘れていないし、逆に「5・6年にもなって上記のような教師の遠回しな注意にも気づけない連中」だと私が連中のことを心の中で馬鹿にしてしまっていたことを見透かされている可能性にも目を背けることはできない。
1991年の同窓会大量殺人未遂事件のことを知ってなお、加害も被害も「昔のことだから」と忘れてしまえるというのは、「おおらか」で済む話ではないと思う。
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