それでも僕は特に必要性のないものをわざわざ集めてみたりもする

 周りが農家ばかりで、傍から見れば我が家の敷地だろうと思ってしまうであろう位置に、隣家が牧草ロールをしまっておくのに使っている倉庫があったりするため、よく農機具メーカーの人が間違って訪ねて来たりする。そのたびに「うちは農家ではないので」と対応しなければならないので、そろそろ家の前に「うちは農業ではありません」と書いた看板でも立てておいた方が良いのだろうかと考えたりもする。

 もし我が家に金が有り余っていたのなら、意味もなくトラクターを一台くらい購入して飾っておくくらいのことはしたかもしれないが、残念ながら有り余る金とは無縁の生活なので、そんな道楽の夢は叶いそうもない。

 それでも、父親が成人するくらいまでは、我が家も農業を営んでおり(専業農家ではなかったが)、その当時使っていた農機具のいくつかは今も倉庫に眠っている。これもまた、もしも将来的に我が家が大金持ちにでもなれたなら、博物館的な感じにして展示しようかしらなどと夢想する。家は住む者の博物館であるべき、というのは私の幼少期からのポリシーである。

 ただし、やはり将来的に我が家が大金持ちになる可能性というのも、大方の予想によると、この21世紀にわざわざ8ミリカメラで風景を撮影している人が、家の煙突に隕石が飛びこむ瞬間を偶然捉えるくらいの確率だろうとされているので、美月家博物館の夢は結局のところ夢のまま終わりそうなのである。