たしか、このあたりだと思う

 小学生の頃、クラスメイト数人で道端で死んで蛆の湧いていた猫の死骸を埋葬したことがある。近隣の景色に、ほぼ変化がないせいもあるが、今でも埋めた場所は覚えている。

 猫の遺骨というものが土の中でどれくらいの間、形を保っていられるのかは分からないが、もし今もなお、ある程度の形が保たれているのならば、あの場所を掘り返せば、腐肉のすっかり消え去った、少し勇気を出せば素手で掴むこともできそうな骨が出てくることだろう。強いて掘り返す理由などないので、そんな悪趣味なことはしないけれども。

 頻繁に姿を見せて、クラス全体で可愛がっていたわけでもない、死骸姿しか見たことのない野良猫であったが、通学路に蛆の湧いた死骸がいつまでも放置されるのは気持ちの良いものではなく、あくまでも「仕方がない」から埋葬したにすぎず、別にあの作業によって当時のクラスメイトたちの絆が深まったりもしていない。ゆえに、埋葬された猫に特別な思い入れも意味もないので、この先も、強いて掘り返さなければならない理由など生じはしないだろう。

 たまたま埋葬場所の近くを徒歩で訪れる機会があったので、思い出したくもない蛆まみれの猫の死骸の情景が蘇ってきてしまったのだが、そういえば、少し離れた場所では、何のものとも分からぬ骨を見かけたこともあった。あれは、たしか猫の一件よりも前、小学一年の秋頃だったと思う。

 野良猫や野良犬の数も今より多く、鹿なんかが姿を見せることもある土地なので(鹿の角を拾ったこともある)、骨が転がっていても、どうせ野生動物のものだろうと考えて、さほど気にすることもなかったのだが、本当に野生動物の骨だったのか確認できていたわけでもない。散歩していたら人間の耳が落ちていた、などというブルー・ベルベットな事態に見舞われた経験もないので、事件性のある骨だとは思わないけれども、あの頃とは違い、「人間の骨の特徴」なんて知識も多少は得てしまったので、今の私が骨を見かけたら、より慎重に観察してしまうことだろう。

 問題は、そんな私の佇まいのほうが、骨なんかよりも怪しく見えることだろうか。