ゆがんだ顔は暑さのせい

 地元新聞の編集余禄で歌人の時田則雄さんが「9月も間もなく半ば。朝夕はめっきりと涼しくなってきた」と書いていたのだが、執筆時はたしかにそうだったのだろうけれど、間の悪いことに掲載された日は酷暑と言って差し支えない状態で、おまけに湿度も高く、高温多湿に弱い私などは呼吸するのも苦しく、どうせ苦行なら滝に打たれたいなどと考えながら一日を耐え忍んだ。

 湿度の高い日に厄介なのは小虫が増えることで、灯りをつけていなくても網戸の隙間などから不法侵入してきやがる。奴らに人間の法は通用しないから、不法もなにもあったものではない。かといって、窓を閉めてしまえば、エアコンが備わっているのは茶の間だけなので、私の部屋まで冷やすことはできず、扇風機を回してもなまぬるい風がかき回されるだけである。導眠剤の力を借りて無理矢理眠りにつくことは不可能ではないのだろうが、意識のない間に熱中症に陥る危険性もある。やはり、窓は開けておくべきなのだ。

 時田さんの言う通り、従来の北海道であれば、9月ともなれば日中は暑くとも、朝夕は涼しく過ごせるはずなのだが、先日の暑さの野郎にそのような情緒はなく、じわじわと住民の命を狙ってくる陰湿な殺人鬼のようであった。小虫ばかりが元気に飛び周り、我々の神経を逆撫でしてくる。人間やこの地域に多く生きる家畜たちはなすすべなく苦しむだけである。

 そんななかでもゲートボールの練習に余念のない老人会の皆様を見かけると、正気を疑いたくすらなる。真剣すぎて叱咤の声まで聞こえてくる。「怒られてまでやるもんじゃない」と早々に関わるのをやめた祖母曰く「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は、死期の迫った人間には暑さも寒さも関係なくなってくるという意味らしい。そうかもしれない。そうでなければ、あの暑さのなかでゲートボールなどやっていられまい。