『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(61)

 しかし、ギャグ漫画のような走り方のダクリュウ先生は、拗音も促音もない世界の住人だったが、寿司屋のトシさんの「表へ出ろ」の一言で、さらに児童数の少ない学校へ逃げ去った。倒れたクレーン車の下敷きになり、頭皮を抉られ、骨が露出してなお、自ら指示を飛ばせるような人間には敵わなかった。最近になって定年間近の姿を隣町の広報誌で目にしたが、不健康な老い方をしているように見えたので、おそらく走り方が祟ったのだろう。自分が創設した野球クラブが死者まで出したことも知らないわけではないはずだが、教員を続けているあたり、その件に関しては責任など感じていないのかもしれない。

 ダクリュウ先生の住んでいた教員住宅には、全ての花壇にひまわりが植えられていて、そのうちの一本には児童の誰かが撃ち込んだエアガンの弾がめり込んでいた。白いBB弾は、一つだけ紛れ育った色違いの種のように埋め込まれ、どこの学級にも存在するあぶれ者たちから、しばらくの間慕われていた。しかし、ひまわりをエアガンで撃った児童の存在よりも、色違いの種を問題視する声は、この土地においても少ないとは言えず、教員たちの手によってBB弾は摘出され、ひまわりは手厚く葬られた。その日、裏山の白樺をのこぎりで裂いたミハソは、患部の出血にも似た赤黒い汁が流れるのを目にしたと話した。