『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(60)

 ようやく素麺をふたすすりできるほどに回復したのは、「魔法のような美少女」と称された彼女の姿を目にしてからで、かといって元来の食の細さが改善されるわけではなく、成人式を放棄して10年経っても、これといった思想的理由もないまま、カット野菜と果物と胡桃によって身体の大部分を形成していた。東京住まいのナムのお兄さんは、私とは相容れぬ食生活を続けていたようで、幼少期の記憶とは一致しない姿で就寝後に会いに現れた。あまり品を感じられない黄色いスポーツカーをインキーさせていた記憶が強すぎたものの、離れの風呂場のガラスを割ったのが彼ではなくヤギ親父であることは覚えていた。自身の組んだバンドの強化合宿という名目で、わざわざ東京から私の家の離れまで、夏休みの間、住み込んでいたのだが、なぜかナムのお兄さんとは特に関係のなかった近所のヤギ親父も頻繁に出入りしていて、彼らが「ヤギのおじさん」と呼んだこの男のことをどう思っていたのかはいまだ訊けずにいる。

 当時、家と離れの間には、よく大きな鬼蜘蛛が巣を張っており、蜘蛛嫌いの父は古い言い伝えにもめげず毎朝退治するのが日課だった。その頃、私が出会ったのは、フランク・ザッパの姿で井上陽水の声を発する神様で、蜘蛛については何も言わず、『トリストラム・シャンディ』を薦められただけだった。丁寧に育てられたカリフラワー農家の息子である、幼少時に辛うじて友達と呼んで差支えの無い存在だったオカチ君は、同じ神様から“かっこいい歌”を教えてもらったが、それがTelevisionの「Marquee Moon」だと分かったのは、お互いが中学に入ってからのことで、周りに知られるわけにもいかなかった。少なくとも私に過去の恥部を無にできるだけの力は最後までなかったし、オカチ君に余計な迷惑をかけるのも本意ではない。マサヤの弟でさえ、出まかせに口ずさんでいた自作曲「あけてくれ」のことは、小2の頃にはすっかり忘れ去っていて、他人が世に出したところで盗作と訴えることもなかっただろう。実際、高校レベルのスポーツ程度しか評価できるだけの知識も実力も持たない世界では、試しに筒井康隆ショートショートを自作だと偽ってみた時も、教師ですら気づいた者はおらず、そもそもさしたる関心すら示さなかった。拗音が書けなくても、笑顔で体育に臨める者が威張っていられる世界だ。

Marquee Moon

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