吾輩は猫の毛である

 猫の毛というものは、身体にも衣類にも付着し易い。もっと付着し易い毛を持つ生き物も存在するのかもしれないが、ペットとして人間と共に暮らす数の多さを考えれば、人間に最も付着していることの多い他の生物の毛は猫であろう。統計学的に信頼できる調査をしたわけではないから確かなことは言えないけれど、少なくとも付着率が高いことは間違いないと思う。

 さて、『ハエ男の恐怖』(1958年/監督:カート・ニューマン)及びそのリメイク版『ザ・フライ』(1986年/監督:デヴィッド・クローネンバーグ)として映画化された「ハエ男」は、原作であるジョルジュ・ランジュランの小説『蝿』の時点から物質転送を試みた科学者が転送機内に紛れ込んだ蝿と同化してしまうというのが大筋である。「蝿以外にも紛れ込んでいるものはあるだろ」という大半の人間が抱くであろう疑念は、それぞれが見事に描き出す恐怖やおぞましさによって鑑賞者の頭から雲散霧消していくわけだが、ひょっとしたら蝿以上に紛れ込み易い猫の毛にスポットが当たっていれば『ネコ男の恐怖』が生まれていたことになる。毛一本程度で説得力を持たせられるかは、書き手の力量次第だろうが、おそらくハエほどの恐怖やおぞましさは感じにくい。いや、実写映画版『キャッツ』(2019年/監督:トム・フーパー)の例を考えれば、相当にビザールな存在になる可能性もあるだろうか。

 いずれにせよ愛猫家と呼ばれる方々は特に、たとえ猫を連れ込むことが不可能な場であっても愛猫の“一部”と共に行動していると考えられ、物質転送のメカニズムと問題点が小説や映画で描かれてきた通りであるのならば、仮に実用化された場合、世界中に大量のネコ人間が生まれることになるかもしれない。愛猫家はあくまでも猫が好きなだけで、ネコ人間をも好きになるとは考えにくいので、愉快な世界とはならないだろう。