隣の報せは厚く見える

 収集癖のある私は住む町の広報を小学2年の頃から保管し続けいるため、それだけでも収納場所の確保に頭を悩ませることになっているのだが、そのくせ近隣の市町村や旅先においても、コンビニやスーパーなどに置かれた広報を拾ってきてしまうので、その他の収集物とも併せ悩みが解消される気配すら感じられない。収集癖だけであれば、雑な保管方法でも気にならないのだろうが、整理癖を併発しているため、興味のない人間が見ても「これはゴミではないのだろう」と感じてくれる程度には綺麗に保管されていないと気が済まないのである。

 もっとも一市町村の広報、それも何年も前のものなど、いくら整理されていてもゴミとしか思えぬ人がいるのは仕方ないとも思うが、どれほどつまらない内容であっても、5年も経てば多少の懐かしさのようなものが感じられはじめ、楽しめないこともないのだ。情報の漬物化とでも言ったところか。

 ところで、この集めた広報だが、読み比べてみると、どうにも我が町のものが一番内容が薄くつまらなく思えてならない。住んでいる町であるがゆえに、目新しい情報に当たりにくいという点もあるだろうが、地方新聞などでもよく目にする小・中学生のインタビュー記事や表紙のデザインなども含め、どうしても他より劣っているのではないかという疑念が拭えない。典型的な「隣の芝生は青い」的感覚ではあると思うが、果たして広報にも当てはまるものなのだろうか。